氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

太刀八幡宮の天井画

前回のブログで紹介した干支恵方盤の後ろに、天井画が描かれています。

干支恵方盤や絵馬に隠れて、全てを確認することは出来ません。

 

 

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写真の右上から見てみると

 

花瓶に生けられた花 椿でしょうか。

こたつに入って書を見ているように見えます。

美しい女性と家来でしょうか。旅に出るのかな?

武士のような?

女性が扇を持って舞をしているのでしょうか?

弓を引いている武士?

 

恵方盤の左側には、鶴らしき鳥も描かれています。

 

何かの物語なのでしょうか?

 



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この天井画の下部に、奉納した方々の名前が書かれた板が、張り付けてあります。

絵馬との関係で、板を上にずらして打ち付けたのでしょうね。

上の部分が隠れています。

 

〇殿天井画(たぶん拝殿)

〇連〇

古賀さん、浦さん、丸山さん、鬼塚さん、その他

明治5年(1872年) 壬申(みずのえさる)春

 

〇〇一刀〇 作者の名前?

 

151年前のものですね。

 

作者の名前の雰囲気からも、有名な画家が描いたものかもしれません。

 

干支恵方盤が奉納されたのが明治36年なので、約30年は参拝者は見上げて天井画を楽しんでいたのでしょうね。

 

それにしても、この板に書かれた字は151年目のものとは思えないほど、鮮明に見えますよね。

 

墨(すみ)が良かったのしょうか?

 

 

 

太刀八幡宮の干支恵方盤

太刀八幡宮の拝殿の天井中央に、干支が描かれた方位盤が飾られています。

 

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鬼塚さん、本田さん、丸山さん、浦さん等 17名の方々の名前が書かれています。

参拝 伊勢大願祝海○○全奉納○神前○○

明治36年1903年)  6月下旬

と読み取れますので、お伊勢参りの後の奉納でしょうか。

120年前です。

朝倉村 七熊新九郎 作

 

東西南北と干支の関係が描かれています。

つい、自分の干支を探してしまします。

 

十二支

 

日本文化研究ブログさんが、「十二支」について分かりやすくまとめてあり、とても参考になりました。

jpnculture.net

 

普段、干支というと「今年はうさぎ年」というように、年ごとに当てはめたものが馴染み深いですが、時や方位にも同様に割り当ててあるんですね。

 

このブログの中の図と、天井の写真では、鏡のように対称になっています。

 

 

志免町の干支恵方

 

志免町のホームページ 「史蹟と文化財」に干支恵方盤の解説が記載されています。

 

一部引用します。

 

南里の「鎮守」とされている王子八幡宮の本社天井に、「干支恵方盤」があります。恵方とは、歳徳神という正月に祭る神のいる方位のことで、その年はこの方角が万事吉とされます。この方位が毎年移動するので、それを示す「干支恵方盤」という円盤を本社天井に吊り下げ、大晦日の日に方位を直しているのです。

 この円盤は内側に東西南北の方位が、外側に十二支が配され、通常は円盤の中央に独鈷(密教で使う仏具の一種)を用いた方位の矢印が取り付けられています。その矢印を新年の干支に回転させるのですが、王子八幡宮のものはこの方位がとれています。またその周りの文字や干支も消えかかっていて、縁起のよい方向を占うことは無理なようです。福岡市の櫛田神社に行くと同じものがありますので、参拝に行かれる際は確認してみてください。

 

昔は、恵方という方位を大切にしていたことが分かりますね。

 

櫛田神社の干支恵方

 

「もっと福岡さん」のホームページに、櫛田神社のガイドが紹介されています。

 

fukuoka-yokamon.com

 

一部引用します。

①まずは入口:門の頭上に干支?!【干支恵方盤(えとえほうばん)】

 

kusi12

髙山さん「楼門(神社の入口の門)の上を見てください。

kusi11

干支が描いてありますね。各方角を示す干支を、真ん中の針が指しているのが分かりますか?

これは、節分の時に恵方巻きを向いて食べる方角を指しているんです。

kusi13

つまり、その1年の運の良い方角なんですよ。

わざわざ見えづらい天井に干支を描いて、ラッキーな方角を指し示すなんて、すごくユニークですよね。

 

この櫛田神社の干支恵方盤は、立派な彫り物で干支が飾られていますね。

とても綺麗なので、比較的新しいのでしょうか。

 

 

太刀八幡宮恵方盤の中央には、網が張ってある中に矢印らしき物が見えますね。

昔は、大晦日に矢印の向きを変えて恵方を指し、新年の参拝に来た方々はその方角を確認したのでしょう。

 

我が家では、恵方巻を食べる時に、「今年の恵方はどこ?」とインターネット検索して確認しています。

 

時代の変化を感じますね。

太刀八幡宮の絵馬 その14  歌舞伎の風俗画

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善光寺同行 19名

奉納年月は色あせて読み取れません。

大内竹春 絵馬師の名前

「福岡県の絵馬(平成9年3月)の資料の中に、多々連天満宮の絵馬(神功皇后伝絵)明治6年 の作者が大内竹春となっています。」

この絵馬も明治初期の作品でしょう。

 

歌舞伎の風俗画というのは、鶴田多々穂さんの付けた題名です。

 

 

歌舞伎は江戸時代には、庶民の娯楽として楽しまれていたようです。

 

歌舞伎の舞台の一場面でしょうか。

舞台の幕というか飾り幕の図柄は、笹竜胆(りんどう)でしょうか?

右の武士の着物にも同じ柄が描かれています。

 

真ん中の武士は、右手に刀を持ち、左手には何か丸い筒のような物を持っているように見えます。何が入っているのでしょう。

黒っぽい着物に、朱色ではでな袴(はかま)を着ています。

読み取れませんが、どこかに家紋が入っていても良いですよね。

女性を見ているのでしょう。

 

女性は少し悲しげなしぐさを感じます。

奥様なのでしょうか。

 

歌舞伎の学びが無ければ、この一場面で物語を語ることは出来ませんね。

 

笹竜胆紋

 

笹竜胆を検索すると、「家紋のいろは」さんのホームページが詳しく家紋を紹介しています。

irohakamon.com

一部引用します。

笹竜胆紋は、笹に似た5枚の葉を下向きに広げて描き、その上に3つの花を描く。

絵馬の紋は、五枚の葉に、花が一つです。

ホームページには、その他の竜胆紋47種も紹介されていますが、絵馬の紋はありませんでした。

 

仮に笹竜胆紋だとすると、源氏に関わる物語かもしれませんね。

 

歌舞伎「絵本太功記」

この絵馬に似た題材をインターネットで検索していると,刀剣ワールドさんの浮世絵の中に少し似ているものが見つかりました。

 

www.touken-world-ukiyoe.jp

 

浮世絵のように、名前が記載されていると良くわかるのですが、絵馬にはそういう風習は無かったのでしょう。

 

ただし、武士には笹竜胆紋の図柄はありませんね。

明智家は桔梗紋だということです。

ウキペディアより引用

 

 

この絵馬の題材となった歌舞伎の演目ははっきりしませんが、この絵馬が奉納された時は、歌舞伎を実際に見るがごとく、解説する長老の熱弁を聞いていたでしょうね。

 

奉納が終わって神様と一緒になって、直会してお酒を飲んでいる姿が、目に浮かびます。

 

 

太刀八幡宮の絵馬 やっぱり生が一番です☝️

8月2日 太刀八幡宮の絵馬達を朝倉市文化生涯学習課のNさんに見て頂きました。

総代会長から鍵🔑を預かり、二人で絵馬談義に花🌸を咲かせました。

 

その時つくづく思ったのです。

「絵馬は、直接見ることで、まったく感じるもの、見える物が変わる」

 

そりゃ、音楽でも絵画でも、ユーチューブで聴いたり見たりするものと、生演奏や直接美術館で観るのとは違いますよね。

 

今まで、解説してきた太刀八幡宮の絵馬達は、太刀八幡宮の定例祭の時に、隙間時間を使って撮影したものです。その写真を見ながら解説を加えて来ました。

 

私が総代をした3年間の定例祭の時も、座った席から絵馬を見上げていましたが、式典が始まると宮司さんから

「皆さま方のお祓いをしますのでご低頭下さい。」

と言葉がかかり、絵馬から目👀を外すことになります。

 

今回初めて、ゆっくり絵馬を楽しむ事が出来ました。

 

正面に掲げられている神功皇后三韓征伐図も、雲☁️の上の神功皇后をハッキリ見ることが出来ました。

以前のブログでは、

雲の上は判読しにくいですが、新羅王が神功皇后にひれ伏しているのでしょうか。

goodlightsato.com

と書いているのですが、はっきりと神功皇后のお姿を見ることが出来ました。

 

また、藤原保昌月下弄笛図を見ていると、うつろな目の表情でありながら、周囲に隙を見せない雰囲気を感じることが出来ました。

goodlightsato.com

 

このブログを読んで頂いている方々にも、是非直接絵馬を鑑賞して楽しんでいただきたいと思います。

 

ただ、今現在直接絵馬を見ることが出来る機会は、定例祭の時だけです。「一般の方も自由に参加して下さい」と宮司さんはおっしゃっていますので、参加をお薦めします。

 

1月1日 元旦祭(大晦日から元旦10時頃)

3月25日 春祭り

7月24日 夏祭り

10月25日 秋祭り

11月23日 新嘗祭

時間は不定期ですが、朝9時又は10時から30分程神事が執り行われます。

 

ただ、この時にゆっくり絵馬を鑑賞するには、総代さんが神事の後片付けの後、特別に絵馬鑑賞の時間を取ってもらうのが良いですね。

 

私としては、この絵馬達は太刀八幡宮の宝であり、氏子さんを始め多くの方々に鑑賞の機会を持ってもらいたいと思います。

 

総代会長さんとも相談して、その道を模索していきます。

🛣️

 

 

太刀八幡宮の絵馬 その13 抜刀の武士と髪に矢を刺した女

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奉献

明治30年(1897年)4月

平田政平他12名

丁関春日〇〇  作者の名前?

126年前のものです。色あせていますが、絵から迫力が溢れています。

 

最初この絵馬を見たとき、竹を持った女が武士を追いかけていると思いました。

 

良く見るととても不思議な構図です。

 

場所は波打ち際です。海でしょうか、川でしょうか。

武士の足元は、緑が多いですので、川かもしれません。

 

武士は剣を片手に、波を前に敵に向かっているのでしょうか。

足の踏ん張りが力強く感じます。

 

左手は、後ろの女を「待て」と制止しているようにも見えますね。

 

後ろの女は、髪に矢が刺さっています。

武士は弓を持っていないので、武士が女を刺したのではないのでしょう。

矢を刺した敵が波の向こう側にいるのでしょう。

 

鶴田多々穂さんは、「二本竹にシメを張った笹が強く靡(なび)いている」と表現しています。

この竹は何を意味しているのでしょうか?

この女性は、巫女さんなのでしょうか?

巫女さんに矢を射るなんてどういうことでしょうか。

 

良く見ると、武士と女の間というか女の足元には、もう一人女らしき人が頭巾を被っているような佇(たたず)まいで、走る女を見ているように見えます。

子供じゃないですよね。

 

神話の一場面なのでしょうか?

伊邪那岐命が黄泉の国から逃げ帰る時、伊邪那美命が髪を振り乱して追いかけたという話がありますが、この絵馬の場面とは少し違うようです。

 

どういう物語がこの絵馬に込められているのでしょうね。

 

インターネット検索してみても、この絵馬に似た題材を見つけることは出来ませんでした。😞

 

絵馬の背面に、何か書かれているのではないかと、夏越しの祭の時にスマホで写真を撮ってみました。

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埃がいっぱいで、何か書かれているのかも分かりません。

少し小さい絵馬が、掛かっている様です。

 

この絵馬が奉納された時、奉納者の方々や氏子の方々は、歓声をあげて絵馬に見入ったのでしょうね。

いつものように、この絵馬を熱く語る長老の話を、みんな楽しそうに聞いています。

😂😄

 

今は、その余韻を感じます。🌈

 

 

 

 

 

 

太刀八幡宮 夏の例大祭(夏越し祭)

今日は、令和5年7月24日。

美奈宜神社から内藤尚武祢宜さんをお迎えして、夏越し祭が開催されました。

 

総代会長さんを始め各地区の総代さん達が参加して、蝉の大合唱の中、新しく修復された神殿で、厳かに執り行われました。

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総代さん達は社紋の入ったお揃いの法被を着ています。

この社紋については、以前ブログで紹介しましたので、参照して見て頂くと嬉しいです。

goodlightsato.com

 

 

神事は神饌(神様への御供物を供える)の後、内藤祢宜さんの挨拶から始まり

 

修祓(しゅばつ) 参列の方々のお祓い

 

祝詞奏上

 

大祓奏上

 

玉串奉奠(たまぐしほうてん) 榊を神前へ奉納

と続き、最後に

「厳しい夏の暑さを乗り越えて、秋の実りを迎えることを祈ります。」

と言葉を頂き、無事夏越しの神事を終えました。

 

内藤祢宜さんから、「皆様に見て頂ければ有り難い」とブログへの投稿の許可を頂きましたので、動画を公開します。

 


www.youtube.com

 

約12分の動画です。

ご覧の方々も一緒に夏越しの祭りに参加して頂ければ幸いです。

 

🙇‍♂️ 🙇‍♂️ 

👏 👏

🙇‍♂️

 

御参拝 ありがとうございました。

😊

 

太刀八幡宮の絵馬 その12 御殿女中捕り物劇

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明治13年1880年)3月

143年前になります。少し色あせています。

良く見ないと、判読が難しいです。

 

鶴田多々穂さんが付けた画題は、「御殿女中が取り押さえた女を今まさに短刀で刺さんとしている。その隣に大ネズミを男の武士が踏まへる。」です。

 

冷静に座っているお殿様の前で、繰り広げられる捕物劇。短刀🗡️を持った女中達の勇ましい姿は、圧感です。

 

取り押さえられた女は、仰向け状態でなす術無し、絶対絶命です。

 

大ネズミと取り押さえられた女というのは、どういう背景なのでしょうか。

 

右上の標題の様な「大内⚪︎⚪︎」というのは、お殿様の名前でしょうかね。

 

その下には、籠のような物があります。旅立ちの前?

 

この絵馬に似た題材をインターネットで探し出す事は、出来ませんでした。

人口知能AIで画像検索すると出来るようになるのでしょうか?

 

 

絵馬を奉納した方々の思い

 

殿を守る最後の砦は、女中である姿から、女性の力の大切さ、偉大さを表したのでしょうか?

家を守るのは、母や妻の力ですからね。

 

御殿女中とは大奥の女性達のことをいいます。

大奥と言えば、女性達の策略が入り混じる世界がよくドラマで取り上げられます。

ユーチューブで動画検索すると暴れん坊将軍のドラマの一部分を見つけることが出来ました。

短い動画で、前後のストーリーが分からないので、内容を理解することは出来ませんが、御殿女中達が短刀(懐剣)を巧みに使っている姿は、絵馬の女中達の姿と非常に似ています。

 


www.youtube.com

 

絵馬の捕り物劇も、大奥のしがらみから発生したものでしょうか。

 

大ネズミで検索すると、ネズミの妖術使いの浮世絵が出てきました。

 

 

やはりお殿様の命を狙う何者かが、妖術を使って大ネズミと刺客の女を殿中に忍び込ませたのしょうか?

 

大奥の出来事を娯楽として楽しんだのかな?

今も昔も、ドラマとしては、人気の題材なのでしょう。

この絵馬を見ながら、笑っている方々の姿が見えます。😂

 

一枚の絵馬から、想像力💡を駆使して楽しむのも良いですね。