氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

古賀百工さんから中村哲さんへ 受け継がれた技術と思い

先日、「古賀百工さんの功績」というブログを公開しました。

 

goodlightsato.com

 

その中で、古賀百工さんがあまり地元の方に知られていないことを、次のように書かせていただきました。

 

朝倉の歴史に詳しい山崎長太郎さんという方が、百工さんのことを語っていますが、最後の方で次のようにおっしゃっています。

 

「百工さんのことを話すると、年寄りの人が、「そげな人がおったとな」と言われる。

百工さんのことが、あまり知られとらん。」

 

私も先日、村の懇親会で、お隣の人に古賀百工さんの話をしたら、「それって誰?」

と言われて、私の方がびっくりしました。

 

今回は、日本はもちろん海外にもその名の知れた中村哲さんと古賀百工さんとの関わりについて、書いてみます。

 

朝倉市民栄誉賞 第一号

 

中村哲さんが、アフガニスタンで凶弾に倒れ亡くなられたのが2019年(令和元年)12月4日です。

 

朝倉市は、翌年2020年(令和2年)1月23日 朝倉市民栄誉賞表彰規則を発行し、故中村哲さんに朝倉市民栄誉賞を授与しました。

 

2020年2月1日の朝倉市の広報誌に、中村哲さんの特集が組まれました。

 

www.nishinippon.co.jp

 

広報紙の内容は、朝倉市のホームページから見ることが出来ます。

 

www.city.asakura.lg.jp

 

この朝倉市広報の題名は、次の通りです。

朝倉とアフガニスタンとの懸け橋

~緑の大地計画への思いと山田堰~

 

広報を読めば、概要が良く分かるので、是非ご覧になって下さい。

 

色々な報道メディアで中村哲さんの偉業は、語られています。

 

私は、マンガ「中村哲」を図書館で借りて読みました。

朝倉図書館では、中村哲さんコーナーが設置されています。(令和6年7月現在)

 

下痢で簡単に子供が死んでしまう現状を変えていくには、100人の医者を連れてくるより、目の前を流れる大河「クナール川」から水を引いて、用水路を一本作るしかないと考えて、「緑の大地計画」を作成します。

 

ここで難関なのは、クナール川からの取水堰です。

 

中村哲さんは、日本全国の堰を見て回り、そして朝倉市の山田堰を見て「これに優るものは無い。」と山田堰をモデルにすることにしたとのことです。

 

山田堰との出会いについて、中村哲さんは「アフガニスタンの堰作りの最大のターニングポイントになった」と語られていたそうです。

 

広報の中でも

中村医師は何度も山田堰を視察。工法の研究のため、川岸で堰を一日中みつめていることもありました。

と書かれています。

 

中村哲さんは山田堰を見ながら、時代を超えて、古賀百工さんや労働者の方々や自然の神様方と会話を重ねていたのではないでしょうか。

 

中村哲さんが世界に向けて、山田堰を発信したおかげで、2014年 世界かんがい施設遺産に登録されています。

 

西日本新聞社のホームページにある中村哲医師特別サイトに「アフガンの地で 中村哲医師からの報告」という中村哲さん自身が投稿した内容が見れるのですが、再三にわたり山田堰のことを紹介しています。

 

2012/5/27付 西日本新聞朝刊

筑後川の知恵結ぶ

から一部引用します。

 

specials.nishinippon.co.jp

 

筑後川の山田堰(ぜき)は、1790年、古賀百工という朝倉の庄屋の手になる。人口増加、飢饉(ききん)と餓死が日常であった時代、幾度も改修を重ね、ついに現在の形を造った。調べるにつけ、現地が当時の日本と同じ苦悩に喘(あえ)いでいたことを知った。あえて堰の原形をとどめてくれたのはわれわれには幸運だった。その解決法をも提供してくれたからだ。

 近代的な技術や重機もなかった時代に造られたこの取水堰には、驚くべき知恵が込められている。取水の間口を広くとり、河道全体を斜めに堰上げて水位変動を抑え、土砂流入を防ぐ。川を閉じ込めず、広い遊水地を対岸に設ける。まさにわれわれが求めるものであった。その応用はマルワリード取水堰に始まり、試行錯誤を経て、近隣の主な取水口に建設され、不可能と言われた安定灌漑(かんがい)が次々に実現した。一連の取水堰工事の成功は、悲願の「洪水と渇水に耐える取水システム」の実現であった。

 ーかくて東部アフガンと九州、220年の時と6千キロ離れた両地域は、水と命を介し、期せずして結ばれた。おそらく偶然ではあるまい。温故知新という。物言わぬ堰は、人と自然の関係についても、問いを突きつける。「近代」の破局が全世界で現れ始めた現在、私たちはどこに向かおうとしているのか。

 取水口の完成を喜ぶ人々の上空を、けたたましく外国軍ヘリが過ぎてゆく。平和な生活への願いとは、あまりに場違いなものだ。守るべきもの…それが目先の景気や軍事力でないことは確かである。

 

 

この美しい文章には、時代と距離を超えた硬い絆、何か目には見えない糸で結ばれた中村哲さんと古賀百工さんの抱擁を感じて、思わず涙が流れました。

 

そして江戸時代に作られた山田堰(傾斜堰床石張堰)が、日本で唯一残されたことへの感謝の雄叫びが感じ取れます。

 

こうした中村哲さんの山田堰・古賀百工さんへの感謝の思いそしてアフガニスタンに第二の山田堰を作った功績が、朝倉市民栄誉賞に繋がったのでしょう。

今のところ、第二号はいません。

 

ちなみに、中村哲さんは、福岡県民栄誉賞、福岡市名誉市民を始め数々の賞を受賞しています。

 

 

中村哲さんの思いが朝倉人へ

 

2019年12月6日の西日本新聞の記事は

『山田堰に光「中村哲先生のおかげ」 アフガン潤した先人の知恵に着目』

という内容です。

凶弾に倒れた2日後です。

 

アフガン潤した先人の知恵に着目

www.nishinippon.co.jp

一部抜粋します。

出会いは2009年。山田堰(ぜき)の視察に来た中村医師を、当時事務局長だった徳永さんが対応したことから親交が始まった。「世界に誇れる山田堰にスポットが当たっていないのはおかしい。もっと発信すべきではないか」。面と向かって中村医師から指摘され、気付いた。「尻に火が付き、情報発信に力を入れ始めた」

 山田堰にヒントを得てアフガンに取水堰の整備を進めてきた中村医師は、各地の講演会でたびたび山田堰を紹介した。国内外に堰の存在が知られると、地元住民の意識も変化し、川の清掃活動を始めた。その参加者は今や千人規模だ。「先生のおかげで地域の宝であることを再認識できた。みんなで守り、次代につなごうとする機運が高まった」

 

朝倉は、三連水車は有名だが、山田堰こそが世界に誇れる遺産ということに、気づかされた徳永哲也さん始めとした山田堰土地改良区の方々は、情報発信に努めました。

分かる範囲で一部紹介します。

 

平成20年(2008年) 「堀川の環境を守る会」が結成され、堀川用水のクリーンアップ活動を開始する。今では1,000人程(小学生160名程)のボランテイアが参加しています。

 

平成22年(2010年) 朝倉地区の小学校4年生を対象に、熊本県小国町で水源林体験学習を開始する。

 

令和3年(2021年) 中高の修学旅行先に、平和学習の一環として山田堰が取り上げられ、1時間の講和を行う。2022年には、15回講演活動、1300人程の中高生に情報発信を行う。

 

その他にも久留米大学で90分の講義を5年以上行ったり、情報発信に努めています。

 

また、三連水車の維持にも多額の費用がかかることから、解体した水車の部品を販売するなど収入を増やす取り組みも行っています。

その他数々のパンフレットを作成していますので、ご覧の方も多いと思います。

 

私は、令和元年から3年まで太刀八幡宮の総代を経験したのですが、その時徳永哲也さんも太刀八幡宮の総代をされていました。令和2年の1月だったと思いますが、内藤宮司さんを囲んだ総代の新年会に参加した時、徳永さんが「何故、あげな素晴らしか方が、殺されなならんとか」と、肩を落とされていた姿を鮮明に覚えています。

その頃の私は、徳永さんと中村哲さんの親交について、また山田堰についても何も知らない時でした。

 

 

山田堰展望広場に建てられた中村哲さんの記念碑

 

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令和3年に朝倉ライオンズクラブが寄贈した、中村哲さんの記念碑です。

 

左の肖像とともに刻まれている「濁流に沃野(よくや)夢見る河童(かっぱ)かな」は、山田堰を訪れた際に読んだ直筆の句です。古賀百工さんを偲んで読んだと言われていますが、河童伝説の多い筑後川を眺めながら、自らも河童となってアフガンの緑の大地を夢見ていたのではないでしょうか。河童達も時空を超えて応援に行ったと思うのは、妄想でしょうか?

 

右の塔は、アフガニスタンにある中村哲さんをたたえる記念塔をアレンジしたものです。

「照一隅」

先に紹介した西日本新聞中村哲医師特別サイトの中に次のように紹介されています。

中村さんが、
好んで使ったのが「一隅を照らす」という言葉でした。
<今いる場所で希望の灯をともす>

 

このような奇跡を導いたのは

 

古賀百工さんは、山田堰と堀川の事業を進めるにあたり、太刀八幡宮の神々に祈りを捧げ、そして子持鳥居を他の庄屋達とともに寄進しました。生家が太刀八幡宮の近くだったことから、毎日のように参拝していたのではないかと想像します。

そして、水神社、恵蘇八幡宮の神々にも祈りを捧げたことでしょう。

山田堰は古賀百工さんが考案し、約64万人の先人たちの手で築造された

と、朝倉市の広報に記載されています。

古賀百工さんと多くの石工、農家の方々、奥様方そして神々の応援があって、山田堰は作られました。

その山田堰は筑後川の幾度の洪水に耐え、他の堰は流されコンクリート作りに改良されていく中、原型をとどめる形で改修を重ねてきています。

 

日本で唯一残った傾斜堰床石張堰。

 

この奇跡の山田堰に、出会った中村哲さん。

そして、アフガニスタンに奇跡の緑の大地を復元していきます。

同じ広報に、次のように記載されています。

現在では9カ所の堰が設けられ、65万人が帰農することが出来ました。

武器を捨て、鍬を持って事業に参加したアフガンの人々。

このアフガンの奇跡を誰が導いたのでしょうか。

中村哲さんはキリスト教徒ですが、私は宗教の枠を超えて、神々が応援していたことは間違いないと感じるんですね。

 

古賀百工さんと中村哲さん

 

生きた時代も違えば、活動する場所もまったく違うのに、まるで中村哲さんは古賀百工さんの生まれ変わりではないかと思わせるような、よく似た境遇の中事業を推し進めていきます。

 

このブログを見て頂いた方々が、郷土に

こげな素晴らしい先人がいた

こげな素晴らしい文化遺産がある

という誇りを感じてもらえると嬉しいです。

 

そして、中村哲さんの書籍やDVD📀を手にとっていただけると有り難いです。

おすすめは、DVD「カカ・ムラド 中村哲の信念」テレビ西日本作成です。

朝倉図書館の中で見たのですが、思わず泣いちゃいました。😭

山田堰も映っています。

 

愛に生きた古賀百工さんと中村哲さんに今一度手をあわせます。🙏

太刀八幡宮のご神水

お父さん 水の出が悪いよー

 

台所の蛇口🚰の水がちょろちょろ

 

井戸ポンプを見ると、回っていない。

 

操作パネルの運転圧力を、標準モードから高モードに切り替えたら、とりあえず回ってくれた。

 

色々、インターネットで症状を調べていると、圧力センサーという部品が劣化しているのではないかと感じた。

 

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購入して、7年。取り換えにはまだ早いだろう。

 

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圧力センサー 10センチ足らずの部品です。

 

圧力センサーの中に、ゴミが溜まったのかもしれないと思い、取り外して清掃をしてみた。

 

数日経つと、またカミさんが

 

お父さん また水の出が悪いよー

 

井戸ポンプに走り、圧力スイッチの感度調整を回したり、叩いたり、取り外しとかしていると、ポンプが動きだす。

 

間違いない。

圧力センサーの異常だ。

 

㈱浦設備工業さんに、電話をすると

「取り寄せになります。」

とのこと。

部品の注文をお願いして、それからが大変。

 

自動では、井戸ポンプが回らなくなってきた。

 

あれこれ、圧力センサーを触っていたら、中のリングをスライドさせると、手動で運転・停止が出来ることが分かった。

 

私は会社員なので、朝起きたら、手動で井戸ポンプを回し、

 

・洗濯の開始 🧺

・トイレの水の確保 🚽

・飲料水の確保 🚰

 

をした上で、井戸ポンプを停止してから、出勤することになった。

 

インターネットの「水のトラブルおまかせ下さい」というところに、電話をしてみたら、

「その症状では、圧力スイッチを交換するのに、5万円かかるから、井戸ポンプの交換をした方が良い。」

と、即座に井戸ポンプ交換を勧められた。

インターネットのホームページ上では、とても親切な会社に思えたが、電話の応答で、そうでは無いのを感じ取り、すぐに、電話を切った。☎️

 

 

とうとう手動では、まったく動かなくなった。

 

トイレの水は、お風呂に貯めてあるから大丈夫。

洗濯は、コインランドリーもある。

飲み水・料理の水が少なくなってきた。

ペットボトルの水を買えば良いんだけど、ここで思い出した。

 

太刀八幡宮の長老の言葉を 👨‍🦳

 

太刀八幡宮のご神水

 

この数日前、太刀八幡宮で長老が

「太刀八幡宮の井戸を掘った業者が、とても良い水が出てると言っていた。」

と教えてくれたのでした。

 

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飲み水・料理の水は、太刀八幡宮の手水舎の水を、毎朝の散歩の時に、ペットボトルで頂くことにしました。

 

まさに、私達にとって、神水💦です。

神様方、ありがとうございます。

 

 

「圧力センサーが入りました」

 

と連絡が入り、会社を早退して、浦設備工業さんに駆け付けます。

 

代金は、5,000円程です。(安くて有り難い)

 

家に帰っていざ交換。

あれ、動かない😫

 

浦設備工業さんに電話したら、駆けつけてくれて、リセットボタン🔘を押したら、順調に井戸ポンプが動き出しました。

圧力センサーを分解清掃した時に、リセットボタンを押さないと回らないのは、分かっていたけど、舞い上がって忘れていました。

 

丁重にお礼を言って、作業車を見送りました。

🙏

近くに良い会社があって助かります。

 

ありがとうございました。

 

能登半島地震の被災者を思う

 

私の実家は、石川県金沢市です。

4月に実家で新聞を見ると、復興にはまだまだ時間がかかるという報道で一杯です。

 

姪っ子の知人は、「水が復旧しないことに、心が折れると言っていたそうです。

 

我が家は、5日の断水騒動(完全断水は1日)で復旧しましたが、その時は飛び上がって喜びました。

普段、当たり前にあるものの大切さは、無くしてみないと分からないというのは、このことです。

 

能登では、何ヶ月も断水しているところもあります。

 

朝倉でも、今後どのような災害が訪れるかわかりませんが、水の確保は最重要課題です。

 

このブログをご覧になった方々やご家族にとって、この太刀八幡宮のご神水が、いつか役立つ時があれば幸いです。

 

🙏

 

 

 

 

 

 

 

 

太刀八幡宮の祭神 宗像三女神

 太刀八幡宮の祭神である宗像三女神を祀る宗像大社に行って来ました。

天照大神の三女神である宗像三女神は、神話に出てくる古い神様方です。

太刀八幡宮境内の案内看板

 

 

宗像大社 辺津宮(へつぐう)駐車場から鳥居を眺める。

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鳥居では、

朝倉市大庭○○から来ました「誰それ」です。今日は、お導きを頂きありがとうございます。お参りさせて頂きます。』

と、心で挨拶してから、くぐりました。

 

鳥居を抜けると、池に鯉がいっぱいです。

カミさんは、さっそく鯉のエサを買って、ばら撒き始めました。

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大きい鯉がいっぱいです。

小さな鯉も、エサを求めて、躍動していました。

 

 

りっぱな手水舎です。
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岩から水が沸いている造りです。
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神門です。

狛犬が出迎えます。

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本殿に向かうと、ちょうどボランティアガイドの方が、本殿・拝殿の説明をしているところでした。
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もう一人のガイドさんが「どうぞ」と手招きをして下さったので、この後もガイドさんの案内を聞きながら、境内を散策することになりました。

 

本殿・拝殿の説明では、屋根の美しさを強調されていました。

杮(こけら)葺という屋根の仕組みや「こけら

おとし」という言葉の意味は、屋根の完成時にこの残ったこけらを落とすことから来ているとのことでした。

 

 

本殿・境内社の説明の後向かったのは、高宮祭場です。

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高宮祭場は、お社の無い神殿です。

写真奥に写っている「ひもろぎ」という木🌲に神事の時、神さまがご降臨されると説明されていました。

弥生時代の祭祀に使われたと思われる土器がたくさん発掘されたとのこと。

約2千年前には、祭祀をしていた証拠です。

 

世界遺産登録の時、諮問委員会が判断の重要なポイントになったのがこの高宮祭場で、古代の祭祀場は世界にたくさんあるが、古代から現在にわたり、祭祀場として使われているのは、非常に珍しいとのことでした。

 

ボランティアガイドさんは、10月3日に開催される高宮祭場で開催される神事を見ることを、おすすめしていました。神楽もあるようです。

 

次に訪れたのは、第二宮(ていにぐう)、第三宮(ていさんぐう)です。

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第二宮 正面写真
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沖ノ島 沖津宮田心姫神(たごりひめのかみ)が祀られています。

 

第三宮 側面写真
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大島 中津宮湍津姫神(たぎつひめかみ)が祀られています。

 

ボランティアガイドさんが、この立派な神殿は、伊勢神宮式年遷宮の際、伊弉諾の宮・伊邪那美の宮がそっくりそのまま、鳥居も含めて移されたとのことです。伊勢では、萱葺きの屋根でしたが、耐久性を高めるため、銅板で覆われています。

 

通常、式年遷宮の時、解体された材料の一部、例えば床板の一部が全国の神社に払い下げされるようですが、このように神殿丸ごと移されるのは、非常に珍しく、伊勢神宮宗像大社との深い繋がりを意味しています。

宗像大社を裏伊勢と呼ぶこともあるとのこと。

 

質問者さんから、答える形でボランティアガイドさんが説明していましたが、宗像三女神は誰が長女かというのも、文献によって違うとのこと。

そして、現在は、辺津宮には、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られていますが、これも時代によって別の三女神が祀られていたこともあったようです。

 

ボランティアガイドさんの説明は、ここで終わりましたが、後で調べると、2時間2千円でガイドしており、色々コースがあるようです。私達夫婦は、別のグループが頼んだガイドさんの説明を聞く機会に恵まれたということです。神さまからのプレゼントを頂いたと感謝しています。

 

辺津宮の拝殿です。

ここが第一宮になります。


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とてもシンプルな拝殿ですね。

飾られている額は、36歌仙でしょうか。

とても美しい状態ですね。

 

太刀八幡宮の拝殿外側にも、かってはこのように、飾ってあったのでしょうね。

 

今日は、カミさんが宗像大社に到着するなり、「祈願を受けてみようか」と言いました。

真新しい祈願殿に向かい、受付をして待合室で待機します。

待合室も綺麗で、宗像世界遺産紹介のビデオが放映されています。

祈願殿の中もとてもシンプルな美しさがあります。

祈願の返礼品です。

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初穂料は、5千円でした。

 

本殿から、高宮斎場へ向かう参道ですが、参道横の森がスッキリしているんですね。
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太刀八幡宮の鎮守の森の今後を考えるのに、参考になりそうです。

 

何度か訪れた宗像大社ですが、今回はボランティアガイドさんの説明を聞いたり、祈願を受けたりと、今までにない経験をして、とても充実した時間を過ごしました。

 

宗像三女神さん、ありがとうございました。

🙏

 

太刀八幡宮 古賀百工さんの功績

令和6年6月17日(月)、山田堰の堀川の通水式が行われ、三連水車が回り始めるというニュースがながれました。

 

www.city.asakura.lg.jp

 

前回、「恵蘇八幡宮に祀られている太刀八幡大神」というブログを公開したこともあり、多くの先人達が山田堰そして堀川を改修して頂いたお陰様で、朝倉地区の農業用水が確保されていることに、感動と感謝の気持ちが沸き上がります。

 

今回は、この太刀八幡宮のひざ元の徳次で生まれ育ち、後に堀川の恩人と呼ばれた「古賀百工」さんのことを紹介します。

 

古賀百工さんについては、以前のブログ「子持鳥居」で少し触れています。

太刀八幡宮のシンボルともいうべき「子持鳥居」は、古賀百工さんを含めた当時の庄屋さん達が寄進したことを紹介しました。

 

goodlightsato.com

 

 

 

朝倉市のホームページには、堀川の恩人として、とても分かりやすく紹介しています。

 

www.city.asakura.lg.jp

 

古賀百工とインターネットで検索すれば、たくさんの情報を得ることが出来ますが、今回は私がとっても分かりやすいなーと思ったユーチューブを紹介します。

 

 

8年前のユーチューブですが、始まりから12分程までをご覧いただくと、百工さんのことを知ることが出来ます。

 

 


www.youtube.com

 

このユーチューブの中で、朝倉の歴史に詳しい山崎長太郎さんという方が、百工さんのことを語っていますが、最後の方で次のようにおっしゃっています。

 

「百工さんのことを話すると、年寄りの人が、「そげな人がおったとな」と言われる。

百工さんのことが、あまり知られとらん。」

 

私も先日、村の懇親会で、お隣の人に古賀百工さんの話をしたら、「それって誰?」

と言われて、私の方がびっくりしました。

 

私は、外から引越してきた人間なので、古賀百工さんのことは、全く知りませんでしたが、子供が大福小学校4年の時に、山田堰に見学に行ったり、三連水車や堀川のことを学んだ上で、古賀百工さんの劇を発表しました。

その劇を小学校で見たので、古賀百工さんのことを知ったのですが、この朝倉で育った方々は、必ず古賀百工さんのことを学び、知っているもの思っていました。

 

 

もう一つのユーチューブは、山田堰から堀川全線を分かりやすく紹介したものです。

始まりから13分程です。


www.youtube.com

 

何かほのぼのとしたチャンネルですが、みなさんどう感じられましたが?

 

私は、今日も田植えの始まった田園風景を散歩しながら、現在当たり前に引かれている田への水は、先人たちの並々ならぬ努力のお陰であるのだと思うと、本当にありがたいと思いましたし、何もこの水だけでなく、今生活で当たり前にあると思っているものも、すべてが多くの方々のお陰だということに気づけて、良かったと思ったのでした。

 

このブログを公開するために、百工さんのお墓に手を合わせて来ました。

りっぱな案内看板もあり、とても綺麗に整備されていました。

気づきをありがとうございました。

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恵蘇八幡宮に祀られている太刀八幡大神 その2

前回のブログの続きです。

oodlightsato.com

 

碑石に刻まれた文字は、

 

天文十七年 戊申 三月十五日

太刀八幡大神

肥後八代城主

山本大納言?

 

でした。

それに対して、疑問が残りました。

 

肥後八代城主

山本大納言?

とは、どなたでしょうか。

ひごやつしろじょうしゅでしょうか?

ひごはちだいじょうしゅでしょうか?

何故肥後(熊本)なのでしょうか?

 

いつか、謎が解けるでしょう。

 

と前回は終わったのですが、とても気になり、この碑石を工事で掘り出した山田堰土地改良区に問い合わせをしてみました。

 

残念ですが、山田堰土地改良区の方は、知りませんでしたが、恵蘇八幡宮宮司さんに聞くと良いと教えて頂きました。

 

それで、恵蘇八幡宮の上原宮司さんにさっそく電話をして、この碑石の事をお聞きしました。

 

この碑石は、父た宮司時代に発掘されたもので、父が話していたこととして、次のように教えて下さいました。

 

この碑石は、山田堰のために埋められたものではなく、たぶん上流から流れついたものではないか。

 

太刀八幡大神は、武運の神様だから、上流のどこかに祀られていた碑石が、大雨で流れついて、山田堰までたどりついたのではないか。

 

上流で、肥後というと、阿蘇が考えられるが、定かではない。

 

私は、前回のブログで、

 

碑石に彫られている天文(てんぶん)十七年 戊申(つちのえさる) 三月十五日は、1548年 今から476年前です。

 

つまり、この最初に堀川ができた115年前に、この碑石が川底に奉納されたことになります。

堀川の最初の工事が、無事に成功するように、関係者が奉納したことは容易に想像出来ます。

 

と書きましたが、肥後の城主が山田堰の安全祈願をするとは思えませんよね。

福岡藩の仕事ですからね。

 

仮に、太刀八幡大神が肥後の国で祀られていたとすると、これまた武士の神様・武運の神様として、崇められいたということでしょうか?

 

謎解きというのは、楽しいですね。

 

脳トレには、最適です。

 

上原宮司さんも、何か分かったら私にお知らせしてくれると、おっしゃって頂きました。

 

この謎解きは、さらに続くでしょう。

恵蘇八幡宮に祀られている太刀八幡大神

恵蘇八幡宮は、朝倉市山田にある神社で、朝倉地域の総社と言われています。

 

我が家の神棚には、お伊勢さんの天照皇大神宮、太刀八幡宮そして恵蘇八幡宮のお札が並んでいます。

 

 

eso8man.com

 

この恵蘇八幡宮の境内の東側に、境内社として太刀八幡大神が祀られています。

背景には、山田堰の水神社が写っています。

 

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最上部石碑には、

 

天文十七年 戊申 三月十五日

太刀八幡大神

肥後八代城主

山本大納言?

 

と彫られています。

 

その下の台座の碑文です。

 

此の碑石は 昭和

五十六一月 山田堰

改修工事中 堰の

上流右岸 七米の

水底より発掘す

よって此の地に祀る

 

昭和56年は、1981年。今から43年前です。

山田堰の改修工事中に、太刀八幡大神と刻まれた碑石が、川底より出てきたのですから、工事関係者も含めて当時大きなニュースとして取り上げられたのではないでしょうか?(残念ながら、今のところ見つかりません)

 

 

山田堰

 

 

朝倉市のホームページには、山田堰の概要を簡潔に紹介していますので、是非ご覧ください。

www.city.asakura.lg.jpp

 

一部引用します。

 

山田堰は、江戸時代に干ばつで苦しむ農民たちを救うため筑後川右岸の耕地を水田化するために設けられた井堰です。

 

先人の知恵と技術の結晶であり、朝倉市の輝かしい文化です。2014年には、「世界かんがい施設遺産」に登録されました。

 

2019年12月に亡くなった中村哲医師は2010年に山田堰をモデルとした取水堰をアフガニスタンに築造しました。

 

また、農林水産省のホームページでは、

日本で唯一の石張堰である山田堰

と紹介しています。

www.maff.go.jp

 

 

碑石が埋められた背景

 

碑石に彫られている天文(てんぶん)十七年 戊申(つちのえさる) 三月十五日は、1548年 今から476年前です。

 

次の写真は、水神社境内に掲げられて「江戸時代の堀川関係年表」です。

 

 

始まりが

1663年 寛文3年 堀川できる

となっています。

 

つまり、この最初に堀川ができた115年前に、この碑石が川底に奉納されたことになります。

 

堀川の最初の工事が、無事に成功するように、関係者が奉納したことは容易に想像出来ます。

干ばつで苦しむ農民を助けるために残された道は、この筑後川の水を引くことなしにはあり得なかったのでしょうね。

 

今でいう工事の安全祈願祭として、この太刀八幡大神の碑石を安置したというのは、太刀八幡大神に寄せる期待の大きさというか、太刀八幡大神の力添えなくして、この事業が成功しないということを表していますね。

 

この碑石を奉納した

肥後八代城主

山本大納言?

とは、どなたでしょうか。

ひごやつしろじょうしゅでしょうか?

ひごはちだいじょうしゅでしょうか?

 

残念ながら、私のインターネット検索能力では、探しきれませんでした。

 

そもそも何故、肥後なのでしょうか。

 

肥後と言えば、童謡ではありませんが、熊本県ですよね。

 

国土交通省筑後川河川事務所のホームページには、次のように記載されています。一部引用します。

 

www.qsr.mlit.go.jp

 

万治のはじめ(1658年頃)、現在の山田堰のかんがい地区である朝倉町および甘木市の一部においては、すでに地区内を流れる谷川の水を利用し、少面積ではあったが、稲を栽培していた。

その後、年貢の増徴等が続き、年貢を確保するには新田開墾という気運が高まり、また福岡藩においても藩の施策として取り上げ、新田開墾に重要な用水源を筑後川に求めることとし、堀川用水新設の企画がなされた。

 

つまりこの事業は、福岡藩の施策とあります。

ただ、碑石はこの「万治のはじめ」の約100年前のものですからね。

 

山本大納言?とはどなたでしょうか。

 

このはいつか解けると信じましょう。

 

それにしても、476年前に祈念して納められた太刀八幡大神の碑石が物語るのは、その後何度も改修したとはいえ、日本で唯一の石張堰として現在も活用され、「世界かんがい施設遺産」に登録され、そしてその技術は中村哲さんの手によりアフガニスタンの農地開拓に活かされているなんて、すごいつながりですよね。

 

当初の奉納者の想像を超えた神計らいがなされ、現在の世に活用され、今後も大切に地元の人達に手によって引き継がれていきます。

 

 

 

 

 

太刀八幡宮 車のお祓い

私事ではございますが、太刀八幡宮交通安全祈願と車のお祓いをして頂きました。

 

太刀八幡宮には、宮司さんは常駐していませんが、内藤宮司さんに相談したところ、

「良いですよ。太刀八幡宮に来ますよ。せっかくだから、本殿の中で祈願をしましょう。」

とおっしゃって下さいました。

 

準備する物をお伺いすると

「せっかくなので、お酒、米、塩を準備して下さい。」

とのことでした。

 

拝殿、本殿への扉の鍵を、総代会長さんにお借りして、中の掃除🧹が終わった頃に、内藤宮司さんが到着されました。

 

お酒、米、塩をお供えして、神事が始まります。

 

私達夫婦は、椅子に座り、

 

祝詞奏上

・私達へのお祓い

玉串奉奠(たまぐしほうてん)

 

 

と神事が進みます。

 

最後に、車を一周して、お祓いをして頂きました。

 

初穂料は、内藤宮司さんの本務社である美奈宜神社と同じ、5千円で良いとの事で、特に出張費はいらないとのことでした。

 

毎朝、太刀八幡宮にお参りしていることから、新しい家族である車のお祓いは、この場所でしたいという願いが叶い、私達は大満足です。

 

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ちなみに、新しい家族は、ホンダの車で、太刀八幡宮の祭神の1柱である、応神天皇こと「ほんだわけのみこと」と縁があると思って喜んでいます。😊

 

宇佐神宮ホームページより引用

 

皆様方も、色々な祈願を太刀八幡宮で行ってみてはいかがでしょうか。🙏