氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

太刀八幡宮の絵馬 その2 神功皇后・武内宿禰図 応神天皇を抱く

神功皇后 武内宿禰図・応神天皇を抱く

明治二十三年(1890年) 寅 八月

善光寺區中 願成就

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132年前の絵馬です。

神功皇后が、皇子(後の応神天皇)を抱く武内宿禰を微笑んで見ています。皇子は菊紋の服に包まれていますね。そして皇后の後の幕には巴紋を見ることが出来ます。神紋に思わず目が行ってしまいます。👀

太刀と弓を持つ神功皇后の勇ましい姿は美しく荘厳です。太刀塚に納められた太刀は、この様に美しい鞘に納められた太刀だったのでしょうか?

何度見ても、微笑ましい絵馬です。

 

特別展「絵馬」神に捧げる祈りの美 福岡県立美術館 の出品目録 P79を引用します。写真は、神功皇后武内宿禰図 北九州市若松区白山神社 引用 p43 

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本図は現存する例が少ない、伊万里様式の色絵磁器の絵馬である。

神功皇后伝説に基づくもので、新羅遠征の帰途、筑紫において皇后が出産した皇子(後の応神天皇)を、老臣の武内宿禰が抱く場面である。古来好まれた画題で、絵馬だけでなく多くの作例が残されている。筑紫における皇子出産という理由のためか、この画題は福岡県内の絵馬で、最も作例の多い一つであり人気の高さが伺える。

 

武内宿禰(たけのうちの すくね)とは

ウイキペディアから抜粋して引用します。

武内宿禰は、記紀に伝わる古代日本の人物。景行・政務・仲哀(神功皇后の夫)・応神天皇神功皇后の皇子)・仁徳の5代の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。

「日本書記」「古事記」の記す武内宿禰の伝承には、歴代の大王に仕えた忠臣像長寿の人物像300歳まで生きたと「日本書記」にある 大絵馬ものがたりより)、神託を行う人物像等が特徴として指摘される。

高良大社では、祭神の「高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)」が中世以降に八幡神第一の伴神とされたことから応神天皇八幡神と同一視される)に仕えた武内宿禰がこれに比定されている。その結果、石清水八幡宮を始めとする全国の八幡宮・八幡社において、境内社のうちに「高良社」として武内宿禰が祀られている例が広く見られる。

また武内宿禰は忠臣とされることから、日本銀行券の肖像としても5種類(一圓券、五圓券)に採用されている。

 

www.kourataisya.or.jp

の「ご祭神」を見ると

高良の神さまの御神号は、「高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)」と申し上げます。

として、武内宿禰像 博多人形 小島与一作 が紹介されています。

太刀八幡宮境内社に「高良社」があるのか、今時点では把握していませんが、今後紐解きが楽しくなります。

 

こうして新たに絵馬を見ると、神功皇后三韓征伐を終えて、皇子(後の応神天皇)を出産した後の、幸せなひと時の姿を絵馬師達は腕をふるって表したのでしょう。

インターネットで「神功皇后武内宿禰図」と検索すればたくさんの画像を楽しめます。

 

またこの絵馬からは、親子の愛、忠臣の大切さを感じ取ることが出来ます。

 

ところで、奉納者は善光寺區(区)中 願成就とありますが、善光寺の皆様はこの時代何の願いが叶ったのでしょうね。詳しい願いは、裏にでも書かれているのでしょうか?