氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

太刀八幡宮の絵馬 その3 那須与一 扇の的の図

那須与一 扇の的の図

天保四年(1833)癸巳 三月

f:id:goodlightsato:20220830205558j:image

189年前の絵馬です。

今回紹介する絵馬シリーズの中では、一番古い絵馬になります。

 

海の中に入った馬上の武士が那須与一(なすのよいち)。弓を放ち、矢は的の扇を見事射抜いた状況です。船には美しい女性が乗っていますね。

 

那須与一はどういう人?」と聞かれても、「名前は聞いたことはあるけど詳しくは分かりません」と答えてしまいます。

しかしインターネット社会では、「那須与一 扇の的」と検索すれば、たくさんの情報を得ることができます。あっという間に博学の人に変じてしまいます。

 

今回、引用させていただくのは、東洋経済オンラインに掲載されている『「教科書で習う那須与一「扇の的」何とも以外な事実』著者:濱田浩一郎  歴史学者、作家、評論家です。

この記事の初めに、「このシーンは中学国語の教科書にも登場します」とありましたので、子供の教科書を調べてみると、国語便覧 浜島書店に登場していました。転載します。

f:id:goodlightsato:20220901122937j:image
f:id:goodlightsato:20220901122934j:image

さすが教科書ですね。弓矢も詳細に解説しています。那須与一が的を射った時に使用したのは、鏑矢という矢で「穴があいていてヒューヒューという音がでる 開戦の合図に用いた」と書かれています。

そして、2ページにわたって解説しているのは、驚きです。

 

それでは、少し長くなりますが、東洋経済オンライン 教科書で習う那須与一「扇の的」何とも意外な事実 著者:濱田浩一郎 から一部引用させていただきます。

 

日暮れが近付き、戦はまた明日かというときになって、平家がいる沖のほうから、小舟が一艘現れ、汀(みぎわ、水際)に向けて漕ぎ寄せてくる。舟上では、18歳ばかりの優美な女房が紅の袴を着て、扇(紅の地に金色の日を描いたもの)を船棚に挟み、手招きしている。その様を『平家物語』は次のように描く。

「さて、阿波・讃岐国において、平家に叛き、源氏の軍勢がやって来るのを待っていた者たちが、あそこの山やここの洞より、14、15騎、20騎と共に現れたので、源義経の軍勢は300余騎となった。『今日はもう日暮れ。勝負を決することはできない』といって引き揚げようとしたところに、沖のほうから、立派に飾った小舟が一艘、汀に向けて漕ぎ寄せてきた」(『平家物語』を筆者が現代語訳)。

(この扇を射てみよ)ということを悟った源氏方は、下野国の住人・那須与一宗高を選抜し、その役に当てる。与一は20歳の若武者。萌黄威の鎧を着用し、足金を銀で作った太刀をさし、滋籐の弓を脇に挟んでいる。

命令を一度は拒んだ那須与一

義経の御前に参上した与一は「射損なえば、味方の恥となりましょう。確実に射落とせる者にお命じください」と命令を拒むが「私の命令に背いてはならぬ。異論を唱えるなら、ここから去れ」との義経の厳命により、渋々、大役を引き受ける。

海に馬を乗り入れる与一。扇と与一との距離は約75メートル。しかも日暮れどきであり、北風で波も高い。沖では平家方が舟を並べて見物している。陸でも、源氏方が馬のくつわを並べて見つめる。

緊張のなか、与一は目を閉じ「南無八幡大菩薩、どうかあの扇の真ん中を射させてください。もし射損なうことあれば、弓を切り折って自害する覚悟。どうかこの矢を外させなさらないでください」と祈念すると、再び目を開く。風は少し弱まっていた。

与一は鏑矢をとり、弓につがえ引き絞り「ひょうと」射放つ。

矢は見事、扇の要ぎわ1寸ばかりのところに命中。扇は空に舞い上がり、暫く空中にひらめいた後、海に落ちた。源平の将兵双方が、与一の腕に感嘆し、称賛する。『平家物語』の中でも有名な扇の的の場面である。

 

『南無八幡大菩薩と祈ったと読んで、太刀八幡宮の祭神の八幡神応神天皇)が出てきて驚いてしまいました。この絵馬が奉納された理由はこういうことだったのかと感動した次第です。

 

教科書に再び目をやれば、源氏の白旗には、「八幡大菩薩と書かれており、解説には「弓矢の神として武家の信仰を集め、源氏の氏神となる。」とあります。

 

あー この絵馬を見ながら、武運の神様である八幡神のご威徳の高さを、おしゃべりしている氏子の方々の姿が想像できます。

この頃は、拝殿で絵馬を見ながらお酒を酌み交わしていたのかもしれません。

氏子さんの中には、講談師のようにこの絵馬の物語を語り、それを聞いてうなずいている氏子さんや子供たちがたくさんいたと思います。

まさに、拝殿は社交場としての機能を、充分果たしていたのでしょう。その姿を、太刀八幡宮の神様は微笑ましく見ていたのではないでしょうか?

 

再び、絵馬に目をやれば、189年前の絵馬とは思えないぐらい、鮮明に状況が浮かびあがってきます。

 

ちなみに「ユーチューブ」で「那須与一」を検索すると、3年目に公開された画像ですが、『タッキー大河ドラマ義経 那須与一、扇の的を射る』というのも楽しめます。

 

感謝😊