今回も、妻が参道の草取りをしていた時のことです。
以前、子宝の神様(さやひめさん)や桜の花の下でどぶろくを飲んだりした話を教えて頂いた長老夫婦の方が、妻に声をかけて来ました。
西郷隆盛と月照さんが、庄屋さんの所に来ていたんだ。案内してあげよう。
と向かった先は、太刀八幡宮のすぐそばの御宅でした。
まずは、妻の大好きなお地蔵さん達が出迎えてくれます。
その奥、民家の脇を通って行くと、石碑が建っています。
大福村史跡
維新の志士会合の処
長老は、爺さんから「西郷隆盛と月照さんが、村にきたばい」と良く聞かされていたようです。他に平野国臣さんの名前も長老から聞いたとのことです。
石碑の隣には、池があり、鯉が泳いでいます。
そして、少し大きくなった蕨(わらび)の先っちょをたくさんとって、まだ美味しく食べれるといって、持たせてくれました。料理方法まで教えて頂きました。米ぬかで20分茹でて、そのまま冷やすという方法です。
この石碑は、村道を歩いていても、まったく見ることは、出来ません。
それどころか、民家の庭を入って行かないとたどり着かないので、勝手に入ることは出来ない感じです。
地元の人達は、この石碑のことをご存じだと思いますが、外から来た私たちには、幕末の歴史を感じる異空間です。
この事を妻から聞いた私の頭に、閃いた💡ことがあります。
以前、朝倉町史を読んだ時に、維新志士会合処の事が書かれていた事を思い出したのです。
いつか訪れたいと思っていた場所が、思いがけず叶うことになりました。
そして、再度朝倉町史を読み返して、幕末期の激動の時代を感じ取り、そして歴史から今の私たちが学ぶべきことは何かを考えさせられました。
そして、西郷隆盛さんを始め、維新の志士達は、太刀八幡宮を参拝し、祈り🙏を捧げたことを知るのでした。
朝倉町史に書かれている内容については、次のブログで紹介します。