氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

太刀八幡宮の神はからい

ブログを始めたきっかけ

 

令和4年(2022年)6月に最初のブログを公開しました。いつのまにか2年5か月が経とうとしています。

そして、多くの方々にブログを読んで頂いて感謝しています。

 

私たち家族がこの町に引っ越して来たのは、平成21年(2009年)12月でした。やがて15年になります。🏠

私の出身地は石川県金沢市であり、妻は静岡県です。私たちにとってこの町は、引っ越して来るまで縁もゆかりもない土地でした。

 

太刀八幡宮との縁が出来たのは、地区の太刀八幡宮総代のお役を頂いたからです。

令和元年度から令和3年度までの3年間を総代として務めました。加えて太刀八幡宮1200年祭建設委員というお役を、令和元年度から令和5年度の5年間、総代と兼務する形で務めることになりました。

 

大絵馬を見た感動

 

最初の例大祭に参加した時、拝殿の中に飾られている大絵馬に圧倒されました。数々の大絵馬が所狭しと並び、それに見入っていたことを思い出します。

武士の絵馬に並び突然おっぱいをあらわにした絵馬もあり、いつまでも眺めていたい衝動に駆られていました。

毎回例大祭に参加するごとに、絵馬を見上げては楽しい時間を過ごしていました。

そして、総代の新年会の時、鶴田多々穂さんがまとめた絵馬の資料を見ることが出来、絵馬の歴史や内容を知ることになります。

 

太刀八幡宮1200年祭に向けて(令和5年10月秋)

 

太刀八幡宮1200年祭建設委員というのは、本殿屋根の改修等の建設費(1500万円)を集めるのが重な仕事となっています。

 

私は、色々な神社のホームページを見ると「〇〇改修事業 御奉賛のお願い」といった寄付の案内があるように、太刀八幡宮のホームページを作成して寄付を募ることを、建設委員会会長に提案しました。

 

太刀八幡宮の由緒や絵馬などをホームページで紹介すれば、氏子にとっても参考になるし、いくらかでも寄付が集まれば良いのではないかと思ったのです。そしてそのホームページの作成には私も喜んで協力することを伝えたのです。

 

しかし、「ホームページを作成するにはお金がかかるので無理です。」という建設委員会の判断でした。

 

個人としてブログを作成

 

ちょうどその頃、「勉強(インプット)した事は、どんな方法でもいいから人に教えたりして(アウトプット)すると良いよ」という本を読み、それにはブログが最適だと書かれていました。

だったら、私が神社の由緒や絵馬などのことを調べて、ブログで発信してみようかと思い立ったのです。

ブログの立ち上げ方から勉強し、平行して神社のこと(主祭神の事・大絵馬・境内社など)を色々調べては、ブログに書き込んでいった次第です。

個人のブログなので、気楽に書けるのが良かったと思っています。

 

毎日の参拝

 

我が家には、柴犬🦮が2匹(オス9歳・メス8歳)います。

毎朝の散歩は、最初の頃は自宅の半径2キロぐらいは、道を覚えたほうが良いとのことで、あちこち歩きまわっていました。そのうち荷原川の川沿いは、魚もいるし鳥も飛んでいて気持ちがいいので、普段の散歩コースになりました。

ところが、平成29年7月の九州北部豪雨の後、荷原川の改修工事が始まりました。毎日の散歩コースを歩くことが出来なくなりました。

そうして新たな散歩コースとなったのが、太刀八幡宮でした。

サラリーマンですから、出勤時間前に散歩を済ませます。

大雨など特別な日を除き、毎朝神社に参拝することになりました。おかげで、季節の移り変わりを肌で感じます。冬は暗い中参拝しますが、フクロウの声が出迎えてくれたときは感動しました。雪の田んぼを駆け回るキツネも美しかったです。

今は河川改修工事も終わったので、一日おきに太刀八幡宮と荷原川沿いの散歩コースを楽しんでいます。

 

ブログを公開しながらの学び

 

最初はおっかなびっくりしながら、ブログを書いていました。今でもそうですが、文章を書く事が無かったため、すぐに言葉に詰まってしまいす。

資料調べのためホームページを検索すると、そこに書かれている美しい文章に感動しながら、引用させていただきました。

図書館の資料やホームページ、時にはあちこち出かけながら、私自身とても楽しくブログを作成してきました。

振り返ると、良くここまで書いて来たなぁーと感動します。

 

神功皇后が太刀を納めたのが、西暦201年ですから1800年を超える長い歴史を持つこの土地に、多くの人が参拝し、時に願い、時に本殿が焼かれそして復興するなどの歴史を学ぶことによって、私の人生を見つめ直す機会にもなりました。

 

一例ですが、吉田松蔭の遺書であり留魂録を読んだお陰で、だれの人生にも春夏秋冬があり、収穫の時期を迎え、種を残していると学びました。10歳で亡くなる命の中にも春夏秋冬あって、無駄な命は何一つない。

goodlightsato.com

このことは、今年の正月に発生した能登半島地震で亡くなった命に対して、残された私たちが災害に対する意識を高め行動することなどが、種を実らすことになるのではないか。ただかわいそうな命という見方ではなく、「あなたの命を無駄にしないよ、ありがとう」と思えるようになりました。

 

歴史を学ぶ意味はあるのか?という問いに対し、作家の司馬遼太郎さんは次のように述べました。

歴史は本来、そこから知恵と希望を導きだすべきものなのである。

美しい言葉ですよね。

学生時代にこういう意識になって、歴史を勉強していたらと、ちょっと後悔してしまいますが、今からでも遅くありません。

これからの激動の時代を私もそして若い世代も生きていきます。どんな事が起きようが、人は協力しあって生き抜いてきました。

 

太刀八幡宮に関わった先人の知恵と希望を導きだすことは可能です。

 

神はからい

 

太刀八幡宮の氏子として生まれ育った人から見れば、私はよそ者です。

 

ただ、振り返ってみれば、この町に住むようになったことから始まり、総代のお役目や犬の散歩、荷原川の改修。ホームページ作成が出来なかったことなどすべてが神はからいというか、神さまの導きと思えてきました。

まだまだ、このブログでお伝えすることはあります。

この先、どういう展開が起こるのか?

神はからいを楽しみながらブログを続けていきます。

 

今後ともお付き合いをよろしくお願いします。🙇