氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

恵蘇八幡宮に祀られている太刀八幡大神 その4(お祭りに参列)

なんと太刀八幡大神のお祭りに参列

 

前回その3を投稿したのは2024年8月ですから、一年半以上経過しました。

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事が動き始めたのは、ひょんなことからです。

 

私が近所の知人の家に向かって歩いていると、恵蘇八幡宮の上原宮司さんが、装束を来てある神事の片付けをしているところでした。

 

上原宮司さんには、以前太刀八幡大神の石碑について由来をお聞きしたこともあり、その後に分かった朝倉市教育委員会 文化・生涯学習課文化財係のÑさんが調べた資料(その3の内容)をお渡ししたいと思い続けていたので、そのことをお伝えしたところ、メールアドレスを教えて下さいました。

 

さっそくメールで送付したところ、資料のお礼とともに次の内容が返信されてきました。

 

当時、山田堰の改修工事を行っていた古賀組さんが見つけられたというご縁も

あって、毎年古賀組の社長さんが参列されお祭りを行っています。

因みに今年は3月10日(火)午前8時30分よりお祭りを行います。

 

私は、ひっくり返るほどびっくりしてしまいました。

そしてお祭りに参列させていただけないかとお願いしたところ、快諾を得ました。

 

私は、この事を文化財係のÑさんにお伝えました。Nさんには、太刀八幡宮の弁財天祠の碑文解読の時、解読文が子孫の方にとても役立ったことを伝えて、ずいぶん喜んでもらったこともあったので、お祭りを毎年していることを知ることが何かの参考になればと思いました。

 

3月10日

 

朝、石碑の前には祭壇が用意されていました。

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上原宮司さんからは、寒いので社務所で待つよう促され、お言葉に甘えました。

社務所で待っていると、文化財係のÑさんそして(株)古賀組さんの古賀佐三社長と濵田総務部長が入ってこられました。

 

自己紹介の後、この石碑の事を中心に色々話に花が咲きました。🌸

 

・工事のために筑後川の流れを変えて水が切れた河底を、タバコを吸いながら眺めていた作業員が見つけた。

・古賀組百年史に発掘当時の新聞記事がある。

・毎年先代社長に連れられて参拝を続けてきた。

・古賀組の先祖は山田堰を造った古賀百工さん。

・百工さんが寄進した子持ち鳥居。

など楽しい話であっという間に時間が経ち、お祭りのため祭場に移動しました。

 

祭典は、お祓い、拝礼、神饌、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌と厳かに執り行われました。

 

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祭典後の記念写真です。カメラマンは、文化財係のÑさんにお願いしました。

 

その後、古賀佐三社長は「菱野の厳浄寺にお参りに行きます。この石碑と一緒に出てきた墓石の供養とあわせてが、毎年の一連の行事です。」とおっしゃって行かれました。

上原宮司も知らなかったこのことが、今後の謎解きのヒントになるかもしれません。

 

古賀組百年史

 

社務所で教えていただいた「古賀組百年史」の当時の新聞記事を見たいと古賀佐三社長に要望したところ、早速メールで関連個所を送って頂きました。

 

少しその内容を引用します。

 

「古賀組百年史」のP117から5ページを使って筑後川山田堰災害復旧工事 ~190年前を偲びて(昭和55年)という内容が記載されています。

 

昭和55年8月30日、朝倉郡恵蘇宿の筑後川に横たわる山田井堰が決壊、堀川用水を利用する700町歩の水田に水が止まった。

・・・

さてこれから始まる山田堰についての話は順序として先ず江戸時代中期までさかのぼる必要がある。古賀家先祖の功績を忘れてはならない。

 

このブログでも何度か取り上げた古賀百工さんのことです。

古賀組さんのホームページには、「生涯を灌漑工事に捧げ、堀川(人口の農業用水路)の大恩人と慕われた下大庭村(現・朝倉市)の庄屋・古賀百工は先祖に当たります。」と記載されています。

 

百年史には山田堰が求められた背景や古賀百工さんの工事内容、功績が続きます。

 

山田堰は以降いくたびかの大洪水にもめげず昔の姿を保ってきたが、今度は遂に流出、190年目にして昭和の大改修となったのである。

・・・

以上のような歴史的因縁により、この災害工事は是非共も我社の手でやらなければ先祖に申し訳がたたないと薫雄社長は当初より積極的に行動を起し地元はもとより各関係方面にも働きかけを続けた結果、昭和55年12月、地元業者との共同企業体工事として受注に成功、着工の運びとなったのが暮の12月である。

 

この後災害復旧工事の内容が続き、「太刀八幡大神」の碑石の話へと移ります。

 

この工事では1月の掘削作業中1つの碑石が発掘され、その記事が西日本新聞の昭和56年1月14日に提載されているので紹介する。

 

 「昨年8月末の大雨で、敷石の一部が流出、復旧工事が行なわれている朝倉郡朝倉町恵蘇宿にある筑後川からの取水口、山田堰の工事現場でこのほど、川底から「天文17年3月25日、太刀八幡大神、肥後八代、山本大納言心」と彫った自然石が見つかった。

 

 この自然石は、縦52㎝、横38㎝でやや長円形。重さ約40㎏。発見された現場は、取水口の水門から約180m上流の筑後川の右岸の川底。山田堰が壊れる前は水深7mもあるところだが、復旧工事で川の流れを止めたため現在の水深は約20㎝。自然石の文字は、いまから433年前に彫られたとは思えない程立派に判読できる状態。とくに山田堰は、寛文3年(1664年)に造られたもので、それをさかのぼる116年前の自然石。

 各関係者は上流から流れて来たか、または何かの祈願で川底に沈めたのではないか、と見ている」

 

 この石碑は社長が後に関係者とはかって近くの恵蘇八幡宮の境内に建立、3月25日、除幕式が行われた。以後毎年3月25日には社長以下関係者は祭祠参拝している。

更にもう一つ墓石も発掘され、これは菱野の厳浄寺境内に安置している。

 

西日本新聞の昭和56年1月14日

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除幕式の様子
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お祭りの継続

新聞記事にあるように、除幕式には当時の町長や山田堰土地改良区などの関係者が参列して執り行われています。

 

昭和56年(1981年)から令和8年(2026年)というと、45年の歳月が流れています。当然月日の経過とともに参拝する方々も変化していきます。

古賀組社長もその当時の社長から3代目になるとのこと。

その長い年月を継続してお祭りしていることに、頭が下がります。

 

「歴史的因縁により、この災害工事は是非共も我社の手でやらなければ先祖に申し訳がたたないと」尽力した薫雄社長は、この石碑を見た時にも先祖の因縁を感じたのかもしれません。

 

私は以前のブログで、古賀百工さんが毎朝太刀八幡宮に参拝してから山田堰に向かったと書きました。

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先祖が厚く信仰した「太刀八幡大神」と書かれた石碑を大切にしたいという気持ちが、伝わってくるようです。

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今年、縁あって参列させていただきましたが、わたしもとても感慨深いものがあるのです。

 

山田堰は朝倉市の宝です。

その技術は中村哲さんによって、アフガニスタンにも活かされています。

その宝を見守るように建立されている太刀八幡大神。

 

山田堰を訪れた方には是非知っていただきたい物語だと思います。

 

 

まだまだ謎解きは続きますが、今日のお導きに感謝します。🙏