氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

太刀八幡宮 令和6年度 各地区の宮祭り・川祭り

今日は令和6年12月1日です。

 

師走というように、内藤宮司さんも大忙しの季節になりました。

 

太刀八幡宮新嘗祭は、11月23日に本殿で執り行われていますが、それとは別に今日から各地区の宮祭りが行われます。

毎年善光寺区から始まり、小塚・中央、余名持、大角、三寺、上野原、乙王丸と続きます。

 

宮祭り

 

宮祭りとは、各地区の公民館などに祭壇を設けて太刀八幡宮の神々にご降臨頂き、新嘗祭と同じように五穀豊穣に感謝するとともに、師走の大祓い式を行うものです。

 

善光寺公民館の前には、鳥居のように立てられた竹にしめ縄が張られています。

 

f:id:goodlightsato:20241201172353j:image

 

そして、祭壇を設け、神饌が並べられます。

 

f:id:goodlightsato:20241201172415j:image

 

内藤宮司さんが、降神(こうしん)の儀により祭壇中央の神籬(ひもろぎ)に太刀八幡宮の神々にご降臨いただき、神事が執り行われます。

区長、総代そして座元の方々が参加しています。

 

どうぞ動画をご覧ください。


www.youtube.com

 

 

川祭り

 

川祭りは荷原川に祭壇を設け、川の水の農作物への恵みに感謝するとともに、氾濫などの災害、水難事故の無いことをお祈りするものです。

 

荷原川の改修工事のため、久しぶりの現地開催になります。

(改修中は、橋の上から内藤宮司さんがお祓いをしていました。)

 

荷原川の右岸に設置された祭壇

f:id:goodlightsato:20241201172828j:image

祭壇には神饌と四隅には竹の器に甘酒が注がれています。

内藤宮司さんと区長・総代そして座元代表により神事が執り行われました。

どうぞ動画をご覧下さい。


www.youtube.com

 

 

川祭りについて昨年のブログで記載したことを引用します。

 

この川まつりですが、農作業に大きな働きをしてくれた牛・馬を川で洗ったりして大切にしていました。その川に対する感謝の気持ちが、川まつりとして継承されてきているとのことです。

 

善光寺さんの写真集の中には、次のような説明書きがあります。

機械化農業の以前ずっと昔その昔から農業は、牛馬によって営まれていたので牛馬の数、竹筒に甘酒を入れて牛馬に感謝の意を表し祭られる

 

当時何頭牛馬がいたのか分かりませんが、その数竹筒を用意したのでしょうね。

 

朝倉町史の第9編民族のところに、「川まつり」という項目があります。

 

 

引用します。

カッパまつりともいい、川筋の朝倉町ではこのまつりが多く行われている。水難事故にあわないように、水田の水が枯れないように祈るまつりである。三島部落では毎年十月二十日に部落あげて「川まつり」を行っている。座元があって、当日は竹筒3本に甘酒を入れ、それを竹笹にくくりつけ、堀川とせり川に捧げてその余りをいただくのである。この川まつりの由来は民話の節で述べることにする。

 

カッパまつり

 

引き続き、朝倉町史第七章 民話と伝説 第一節民話から引用します。

 

川まつりともいう。昔三島の里に、作兵衛さん(仮名)という働きものがいた。今日も一日の仕事を終えて、堀川の馬入れくんばで馬を洗っていた。馬洗いが終わり、自分も水浴びをしていた。ところが馬が何に驚いたのか、馬小屋目がけて走っていった。作兵衛さんも後を追い、馬小屋にいってみて驚いた。なんと手綱のわさに、カッパが手をつっこんでもがいているではないか。やがて隣近所のものが集まり大騒ぎとなった。「殺してしまえ」「見世物にだせ」といろいろガヤガヤ。そのうち一人の老人が「可哀想だから助けてやっては」と言った。里の衆も賛成した。

しかし助けてやるかわりに、次のことをカッパに約束させることにした。

「人流れがあったら必ず助けること。稲に水が枯れないようにすること」

カッパは快く引き受けて水の中に消えていった。その後三島橋のところから子供の人流れがあったが、どうしたことか三島車の「あらこ」の上で助かったという。またどんな日照りの年でも、川の水が枯れたことはなかったので、これはきっとあのカッパのお陰だと里の人は感謝した。

それからというものは、毎年十月二十日に部落あげてカッパまつりをすることになった。当日は世話人が竹筒三本に甘酒を入れ、それを竹笹にくくりつけて堀川とせり川にあげ、その余りをみんなでいただきカッパに感謝した。甘酒は刈り取り前の稲の穂をそいで作った。このまつりが終わらないと、稲取りは始められないという慣わしだった。この日は遠く筑後の方からも甘酒をいただきにくる人が多く、小学校も昼前で帰り、三嶋宮の境内は一日中賑わったという。戸渡しがあって座元になった二軒は、朝からご馳走をつくり接待の用意で一日中大変だった。何時の頃より始まったかははっきりしないが、今もこのまつりは続けられている。

 

こういう民話を見ると、地区は変わりますがこの太刀八幡宮の各地区で行われている川まつりも、農業の労働力としての牛馬に感謝することに加え、川の恵み、自然の恵みしいては大地・地球の恵みに感謝する形の現れなのだろうなと思います。

 

私の子供もよく荷原川に入って遊んでいました。

川に仕掛けたお魚キラーという網を毎日見に行って、時には鯰が入っていることもあり、川の恵みを体でたくさん感じることが出来たと思います。

その子供が無事に成長して、現在高校3年生の生活を楽しんでいるのは、カッパさんの助けもあったのだなと今更ながら感じます。

(中学校の先生からは、川では過去水難事故があったから、川には入らないように指導がありました。)

 

朝倉町史に書かれていますが、三島という地区では「小学校も昼前で帰り」とありますが、こういうお祭りこそ子供達が参加して、宮司さんから川の恵み・自然の恵みを学ぶことで、子供達の自然観を育てることになるのではないかなと思います。

 

 

懇親会

 

この日は村人皆さんが集まり直会(なおらい)が執り行われました。コロナ禍によって久しぶりの開催となりました。

楽しい懇親会が進み、座元の引継ぎが行われ、万歳三唱で締めくくりました。

 

文化の継承

 

宮祭り・川祭りに参加して思うのは、こういう地域独特の文化がいつまでも続いて欲しいと思うのです。

時代の変化により中止や縮小されている行事がある中で、今後世代が変わればこういう行事の必要性とかが議論される時が来るとは思うのですが、文化を継承・発展させていくことが地域コミュニティの維持には不可欠だと思うのです。

出来れば子供たちも参加して、文化に親しむような環境を作っていくことも大切なのではないでしょうか。