氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

太刀八幡宮 車のお祓い

私事ではございますが、太刀八幡宮交通安全祈願と車のお祓いをして頂きました。

 

太刀八幡宮には、宮司さんは常駐していませんが、内藤宮司さんに相談したところ、

「良いですよ。太刀八幡宮に来ますよ。せっかくだから、本殿の中で祈願をしましょう。」

とおっしゃって下さいました。

 

準備する物をお伺いすると

「せっかくなので、お酒、米、塩を準備して下さい。」

とのことでした。

 

拝殿、本殿への扉の鍵を、総代会長さんにお借りして、中の掃除🧹が終わった頃に、内藤宮司さんが到着されました。

 

お酒、米、塩をお供えして、神事が始まります。

 

私達夫婦は、椅子に座り、

 

祝詞奏上

・私達へのお祓い

玉串奉奠(たまぐしほうてん)

 

 

と神事が進みます。

 

最後に、車を一周して、お祓いをして頂きました。

 

初穂料は、内藤宮司さんの本務社である美奈宜神社と同じ、5千円で良いとの事で、特に出張費はいらないとのことでした。

 

毎朝、太刀八幡宮にお参りしていることから、新しい家族である車のお祓いは、この場所でしたいという願いが叶い、私達は大満足です。

 

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ちなみに、新しい家族は、ホンダの車で、太刀八幡宮の祭神の1柱である、応神天皇こと「ほんだわけのみこと」と縁があると思って喜んでいます。😊

 

宇佐神宮ホームページより引用

 

皆様方も、色々な祈願を太刀八幡宮で行ってみてはいかがでしょうか。🙏

 

令和6年 太刀八幡宮 春の例大祭

今日は、令和6年3月25日。

 

小雨降る中、春の例大祭が開催されました。

境内の桜🌸も、少しほころび、大祭をお祝いしています。

 

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内藤主税 宮司さんがおっしゃっていますが、春の例大祭は、正式には祈年祭といいます。

農耕の初めのお祭りであり、夏祭り・秋祭り・新嘗祭と続きますと挨拶されていました。

 

伊勢神宮のホームページには、次のように書かれています。

www.isejingu.or.jp

日本書紀』に天照大御神斎庭の稲穂を天孫瓊瓊杵尊に授けられたことが記され、そこに日本の始まりが位置づけられることは大きな意味を持ちます。春に豊作を祈り、秋の収穫に感謝する稲作を中心とした営みを、日本人は2000年以上繰り返して来ました。天皇陛下から国民に至るまで神を祀ることは日本の大切な文化です。

 

私は太刀八幡宮のブログを書きながら、この「日本の文化」ということに心が向かうのです。

私の目には見えない神様を、信じる信じないということではなく、日本人として培ってきた生活様式を生活の基盤としていることが、生きる上で大切なのかなと思うんですね。

朝起きたら、家族に「おはようございます」と挨拶をする。

近所の人に会ったら、挨拶をする。

このことと同じように、「祈年祭には豊作を祈る」ことも、生活様式・文化なのだろうと思うのです。

 

私は農家ではありませんが、豊作なくして私の繁栄もありませんので、これからもこのお祭りを大切にしたいと思います。

 

ウキペディア祈年祭には、次のように書かれています。

ja.wikipedia.org

 

本来は民衆が行う田の神への予祝祭であったが、中国の大祀祈殻の要素を取り入れ、律令国家祭祀として成立した。

 

予祝祭とは、あらかじめ祝うことで、今年の豊作をイメージしてお祝いのお祭りをするという文化を何千年も続けて来たのですね。

 

私も、今日は個人的な願い🤲も、予祝祭としてお祈りしたいと思います。

 

それでは、本日行われた、祈年祭の動画をご覧頂き、ご一緒に参拝していただけるとありがたいです。🙏 

皆様にとっても、素晴らしい秋の収穫を得る祈年の一日になりますように。

 


www.youtube.com

 

 

太刀八幡宮 平尾八幡宮に学ぶ

うちのカミさんは、以前 福岡市平尾に住んでいました。

 

そのカミさんが、「平尾八幡宮は、以前は暗くて社務所も開いていなかったけど、きれいになって社務所も人がいるようになっていたから、何か参考になるかもね。」と言うので、さっそくドライブを楽しんで行って来ました。

 

平尾は、以前のブログで紹介した、野村望東尼さんが住んでいた平尾山荘がある所です。

 

goodlightsato.com

 

平尾八幡宮は、住宅とマンションが立ち並ぶベッドタウンの中に有ります。

 

神殿全景、奥が社務所

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とてもスッキリした感じがします。

砂利を敷いてあるのも、清潔感を感じますね。

 

祭神は、応神天皇神功皇后菊理姫です。

 

お賽銭箱の隣りには、おみくじが置いてあります。
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お賽銭箱脇に、賽銭泥棒さんへのメッセージが置かれていまチュー。
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参拝した日は、土曜日だったので、社務所は閉まっていました。
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日曜日と1日、15日の午前中のみ、社務所が開いているのですね。

御朱印もその時受けることが出来るようです。

 

内藤宮司さんからお伺いしたことがありますが、三奈宜神社にも御朱印を求める女性が多く訪れるとおっしゃっていました。

 

太刀八幡宮も、1日(朔日参り)だけでも社務所を開けて、参拝者の方々にお茶🍵を飲んでいただき、一息いれてもらえたらいいですよね。

 

お伊勢さんでは、朔日参りの時は、特別のおもてなしもあるようです。

 

ise-kanko.jp

 

 

太刀八幡宮御朱印を作るのも良いでしょうね。

先日のブログで紹介した、朝倉市文化生涯学習課 文化財係のNさんは、「無人の神社で御朱印を置いているところもあります。」とおっしゃっていました。

 

 

 

菅原道真公が、休んだ石の復刻石がありました。私たちも座って来ました。
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修復工事寄附のお願い看板です。
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私たちが、参拝している時も、若い男性の方や、赤ちゃんを胸に抱いた若夫婦など3組程が、参拝していました。

 

きれいになった事も、参拝者の増加に寄与しているのかも知れません。

 

写真は、撮りませんでしたが、神域内に十数台の番号札が建てられた駐車場🅿️が有りました。多分、一般の方に貸し出し、駐車料金を神社の収入源にしているのでしょう。

 

「参拝の方は、拝殿前に止めてください」と立て看板もありました。

 

色々参考になりますね。

 

夢が広がります😴

 

 

 

 

太刀八幡宮の境内社 ⑧厳島神社の碑文解読

以前太刀八幡宮境内社を調べて、ブログで公開しています。

 

その中の厳島神社境内社を調べた時、刻まれた長文の碑文について紹介しました。

 

goodlightsato.com

 

この時のブログの中では、全文を解読出来ずに終わりました。

 

正面から見て、左側面写真

 

背面写真

 

正面から見て右側面写真

 

その後、内藤宮司さんから、「朝倉市の文化生涯学習課 文化財係にお願いすると良いよ」というお話を頂き、連絡してみたところ、さっそくNさんが太刀八幡宮に足を運んでいただき、なんと拓本をとっていかれました。

 

拓本をとる作業の前には、まずお酒を奉納して、手を合わせていました。👏

 

作業中の写真

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そして、先日解読内容を送って頂きました。

 

送付文も含めて、全文引用します。

 

読めない箇所や読み方があっているか不確かな箇所もあり、凡そこれくらいの意味というところでご了承頂ければ幸いです。

 

【意訳】

この弁財天を勧請したのは、秋月種実の代々の家臣、師岡勘次兵衛である。

天正の頃(一五七三~一五九一)の秋月城落城の際には夜須郡依井村に住んでいた。

南筑の生葉郡吉井の市に商用があって、この往来の大庭村平田というところに来て、

文禄年中(一五九二~一五九五)に住宅を移し、数百〇を耕地にした。霊験によって弁財天を進んで崇敬した。

元和年中(一六一五~一六二三)に三代の孫、九郎左衛門 惣兵衛 市次良は各々大隅に住居を替え、別に相続した。

凡そ二百十有余年、絶えていたが、八世の孫、社地のこの地に移して新たに石の玉殿(祠)を造営し、神処を飾り奉って、子孫繁栄・五穀豊穣の長久を祈るものである。

 

願主 師岡姓産徒

石工 筑後 山北村 ○○ 平沢辰諄

享和元(一八〇一)年 辛酉 朔且

 

 

歴史を感じますね。

このお社が出来たのが、223年前になりますが、由来は更にさかのぼり、1590年代というと430年前には、弁財天さんを崇拝していた事が分かります。

 

そして、このお社は他の境内社と共に、大正15年(1926年) 太刀八幡宮遷座することになりました。

 

神社庁提出書類より

大字大庭字平田に祭祀ありしを大正15年12月11日許可を得て移轉合併す 

 

境内社遷座の歴史については、以前のブログを参照していただけるとありがたいです。

 

goodlightsato.com

 

神社合祀という政策により、遷座することになったとはいえ、現在このお社は、太刀八幡宮に敷地内に鎮座して、約100年になります。

 

長年にわたり、信仰の対象となった弁財天さんは、今も太刀八幡宮に鎮座しているのです。

 

その歴史を知り、弁財天さんにご挨拶出来ることは、私にとって至極の喜びです。😊

 

この喜びを多くの方と共有出来ればありがたいです。

 

自分では,解読出来ない碑文を、今回朝倉市文化財係のお助けにより、その内容を知ることが出来ました。

 

本当にありがとうございました。🙇‍♂️

 

 

 

太刀八幡宮の鎮守の森 明治神宮に学ぶ

フクロウ🦉が住んでいる太刀八幡宮の鎮守の森は、生物多様性に富んだ森🌳と言えると思います。

 

フクロウが生息する為の餌となる小動物がいて、その小動物達が食べる虫などがたくさんいて、生態系が整っているんでしょうね。

 

鳥の巣穴?

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この鎮守の森も、一部は竹が繁殖したり、杉を植えた所は間伐をしていないので、ひょろひょろとした杉林(線香林ともいわれています)になっていて、手入れを必要としているようです。

 

西の参道の楠の大木 この西の参道付近からフクロウの鳴き声がしたんですよね。

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西の参道入り口の椋木
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社務所裏側 竹が繫殖している
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本殿 東側 線香林
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先日、長老のお話を伺った時、杉がお金なるからといって、植樹した時期があったようです。

 

ボランティアで竹を切ったり、下草を刈ったりしている方もいますが、一人の力だけに頼るのではく、多くの方の力で、鎮守の森でありながら、氏子の方々が集える心地の良い森を作っていけたらいいのでしょうね。

 

参考となった絵本

 

図書館で「100さいの森」松岡達英著という絵本を読ませていただきました。

 

表紙裏には次のように書かれています。

高層ビルが立ちならぶ東京のど真ん中になぜこんな大きな森があるのでしょうか。その「なぞ」を知るために3羽のヤマガラたちといっしょに森へいってみましょう。

 

養武孟司氏推薦

大都市の東京に、明治神宮の百年の森。これは奇跡です。それも人口の森ですよ。

 

 

明治神宮の森は、大都会の中で太古の昔からあるような姿をあらわしていますが、その歴史は約100年ほどです。木のまばらな荒地に、明治神宮の創建が始まり、鎮守の森づくりの役を担ったのは、本田静六とその弟子の本郷高徳、上原敬二の三人の林学学者でした。

 

日本全国から10万本もの樹木の寄付が集まり、全国の青年団のべ11万人のボランティアが参加した、一大プロジェクトとなったようです。

 

私がもっとも感動したのは、この3人の林学学者達が、100年先、150年先とこの鎮守の森が育っていくように設計し、この森が博士たちが考えた以上に、早く豊かな森に育っていったということです。

 

太刀八幡宮の鎮守の森の設計

 

太刀八幡宮の鎮守の森を今後どのようにしていくのかは、林学学者とはいわないまでも、鎮守の森を勉強し、なおかつ氏子の方々の憩いの場とは何かを考える方々が必要なのではないかと思います。

 

三人寄れば文殊の知恵 

 

ゆっくり時間をかけて、色々な鎮守の森を見学し、美しい森・神社のための設計を行えたらいいですよね。

 

私も微力ながら、勉強をはじめていきます。

 

😊 🦉

 

 

太刀八幡宮の祖祖宮 薦(こも)神社

令和6年1月20日 カミさんと薦神社を訪れ、参拝しました。

 

薦神社は、大分県中津市にある古い神社です。

 

太刀八幡宮と薦神社は、標題にも書いた祖祖宮(祖宮の祖宮という意味)という関係です。

 

太刀八幡宮の創建は、教育委員会設置の案内看板には、次のように書かれています。

弘仁14年(823)、豊前国宇佐八幡宮の霊を移し、社殿を建て「太刀八幡宮」とした。

 

つまり、太刀八幡宮の祖宮が、八幡総本宮 宇佐神宮になります。

 

宇佐神宮のホームページの由緒には、次のように書かれています。

八幡さまは古くより多くの人々に親しまれ、お祀りされてきました。

全国約11万の神社のうち、八幡さまが最も多く、4万600社あまりのお社(やしろ)があります。

宇佐神宮は4万社あまりある八幡さまの総本宮です。

 

そして今回参拝した薦神社は、宇佐神宮の祖宮と言われています。

 

ウキペディア薦神社には、次のように記載されています。

ja.wikipedia.org

全国八幡宮総本宮である宇佐神宮祖宮といわれ、承和年間(834-848年)の創建と伝える古社である。

人間でいうと、太刀八幡宮のおじいちゃんおばあちゃんにあたる神社ということでしょうか。

 

また神社で頂いたパンフレットの由緒には、次にように書かれています。

薦神社は大貞八幡宮とも称され、霊地である三角(御澄)池を内宮、社殿を外宮と仰ぐ由緒正しい八幡の古社であります。ご社殿の造営は承和年中(834-48)と伝えられていますが、歴史は遥かに遡り、八幡大神権現にかかわる上古以来の歴史を刻むものであります。

 

早速、当日撮影した写真を見ながら、案内させていただきます。

 

風格のある看板岩です。

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駐車場から出迎える一の鳥居と狛犬です。

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参道を進むと、ひときわ大きな神門が出迎えます。

この神門は、国の重要文化財に指定されています。

この門を通り抜けることは出来ませんでした。

この神門の手前を左に進むと社務所、拝殿へと進むことになります。

この写真に写っている、神門の右側が本殿になります。


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外宮である本殿正面からの姿です。
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祭神は、太刀八幡宮そして宇佐神宮と同じで、応神天皇八幡大神)、比咩大神宗像三女神)、息長帯比売命神功皇后)です。

 

社務所の巫女さんにお伺いしたところ、まず左の拝殿を参拝し、次に右を、最後に真ん中の拝殿を参拝するとのことでした。

 

小雨の中、参拝させて頂きました。👏

 


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真ん中の拝殿の写真です。

賽銭箱に刻まれている社紋は、初めて見る一つ巴紋です。

太刀八幡宮の社紋は右三つ巴紋です。

以前のブログで紹介しています。

goodlightsato.com

 

ウキペディア薦神社には、社紋として次のように書かれています。

一つ巴。元来、巴紋は水に由来する紋で、宝器の勾玉、魂、命に関連する。宇佐神宮の三つ巴に対して、一つ巴であることから、宇佐の祖宮の一つと考えられている薦神社は、本来は宗像三比売大神ではなく、別の、あるいはその中の一人の比売大神(たとえば中津宮湍津姫神)を祀っていたのではないかという説もある。

 

外宮の参拝を終わり、内宮に移ります。


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三角池の中の鳥居です。
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案内看板の一部を引用します。

池は、三角池(みすみいけ)と呼ばれ、池そのものがご神体である。三角池に自生する「真薦(まこも)」を刈り取って、池の中の敷島で乾かし、宇佐八幡宮のご神体である「御枕」にしたという。

 

薦神社が祀る八幡神は、池の守り神でもあったといわれる。

 

真薦(まこも)は、イネ科の多年草です。

ウキペディアには、食用や漢方薬としての効能の他に神事として用いられていることが記載されています。一部引用します。

ja.wikipedia.org

古事記万葉集にも登場し、神の宿る草とされ神社の「しめ縄」や「茅の輪」の材料とされた。

出雲大社では毎年6月に「マコモの神事」が行われる。「出雲の森」から、御手洗井までの道中に清い砂を敷き、その上にマコモが置かれ、宮司はその上を歩いて参進する。宮司が踏んだマコモは御神威が宿るとされ、参拝者は持ち帰って神棚に飾ったり、浴槽に入れたりする。

 

朝倉市近辺にも、自生している所があるのでしょうか?

 

そして池のほとりに、八幡神の足跡が残っている石を見ることができます。

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内宮を離れたところにある、可愛い顔の狛犬さんです。
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神計画(はからい)を感じたごみ拾い

 

神社に到着した時は、小雨が降っていました。

そもそもこの日は、雨の予報でしたので、傘を持っての参拝になりました。

 

外宮の参拝を終わり、内宮の池を参拝する時には、雨もほとんど降っていませんでした。

 

内宮の鳥居で参拝の後、せっかく来たのだから、ご神体である池を一回りすることにしました。

 

はっきりした遊歩道があるわけではありませんでしたが、人が通った跡が途中まであり、そこから車道横の歩道を歩いて一周したのです。

 

そして、歩き始めた時から、ごみが落ちています。

 

あいにく、ごみ袋になるビニール袋を一枚も持っていなかったのですが、持っていたビニール傘を逆さにして、ごみを拾い始めました。

 

結局一周を終えた時には、傘いっぱいのごみを拾うことが出来ました。

 

途中柵があって拾いきれなかったごみも多数ありましたが、少しはご神体の周りを綺麗にすることに貢献出来て良かったなーと喜んでいます。

 

それにしても、雨が降っていたら、きっとごみを拾いきれなかったのではないかと思うんですね。

 

神計画(はからい)で、雨を止めてくれたのだと、私達は感じました。

 

こうして、太刀八幡宮にご縁のある薦神社に参拝することが出来て、とても良かったと感じました。

 

導いて頂いてありがとうございます。🙏

 

 

 

 

 

太刀八幡宮 鬼火焚き

令和6年1月14日(日)

 

善光寺区の鬼火焚きが開催されました。

数年コロナ禍で開催されなかっただけに、久しぶりの鬼火焚きとなりました。

 

前日から竹を切り出し、広場に運び、組み上げていきます。

 

高さは6mぐらいは、あるのではないでしょうか。

 

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立派に組みあがりました。

 

当日、朝7時、子供(小学一年生)の手により点火されました。

 

火種は徐々に大きくなり、パーンと竹の破裂する音とともに、火は高く空に舞い上がって行きます。

まるで、火の龍が踊っているかのようです。


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この火の中に、お正月飾りや書初め等が投げ込まれ、お炊き上げをしていきます。

 

年神様ありがとうございます。🙏

 

習字が上手になりますように。🙏

 

焼かれた青竹の葉が、黒くなって、あちこちでつむじ風となって、舞っていました。

 

それを追いかける子供にとっては、普段経験しない異次元の体験になっていますね。

 

竹の破裂する音にも、びっくりしていましたよ。

 

ウキペディアによれば、鬼火炊きという言い方は、九州が多いようです。

 

ja.wikipedia.org

 

左義長どんと焼きなど全国に呼び名があり、この時期に開催されています。

 

国の重要無形民俗文化財に指定されたところもあり、日本の大切な文化ですね。

 

起源も宮中の陰陽師の儀式から、民間に広まった説が有力とか。

 

この大切な火祭りの文化も、善光寺区でも一時開催されない時期があったようですが、なんとか子供会を中心に復活したようです。

 

しかし、少子化の影響や、学校の行事でしょうか別の行事(マラソン大会?)に子供達が参加したこともあり、この日集まった子供達は数人でした。

 

竹が燃え上がり、おき火になると、その火で餅を焼いたり、お肉を焼いたり、楽しい懇親会が開催されます。

 

竹にお酒を注いで「かっぽ酒」を楽しむ大人達。

 

コロナ禍で出来なかった懇親会が盛り上がっていきます。

 

この文化がいつまでも続くことを祈っています。

 

ただ、お酒の飲み過ぎには、十分注意しましょう。

🍶 😊