氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

太刀八幡宮 参宮同行(さんぐうどうぎょう)

太刀八幡宮の絵馬や狛犬そして標柱(しめばしら)には、参宮同行という文字が書かれています。

 

第3の狛犬 ちょっと苔むしていますが。

昭和8年4月5日 参宮同行

 

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表参道の標柱 奥に古賀百工さんゆかりの子持鳥居が見えます。

 

伊勢参り

 

朝倉町の歴史ものがたり』の中に「お伊勢まいり」という項目があり、伊勢神宮三重県)に参拝する一行を参宮同行ということが書かれています。

 

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朝倉地域コミュニティ協議会で購入しました。令和4年当時 1000円

 

一部引用させて頂きながら、ブログを進めて行きます。

この本は子供達にも読んで頂きたいということから、ひらがなが多く使われ、漢字にはルビがふられています。

 

伊勢参り

 打ちつづく風、水、虫がいによる苦しい生活にあえぎ、封建制度(君主や将軍の下に多くの諸侯が土地を領有し、諸侯が各自領内の政治の全権をにぎる国家組織)のもとでの容赦のない年貢のとりたてなどのきびしいおしつけの政治にたいして、一般の人々はどこかにそのはけぐちをもとめて自由の身になりたいという願いがありました。

 伊勢神宮三重県)に対する信仰が人びとの間にひろがったのは、鎌倉時代の中頃からであったといわれていますが、とくに六十年ごとに回ってくる年を「おかげ年」といってその年にお参りすると神のめぐみがあたえられるという信仰がありました。

 

今の私たちには、想像出来ない苦しい生活をしていたのでしょうね。飢饉もあって食べ物にも困った年もあったはずです。

 

「はけぐちを求めて自由になりたい。」と思ったら、今ならどうしますか?

 

 

 来光寺の古賀家文書の中に庄屋であった古賀新五郎重吉の天保六(1835)年「伊勢参宮道中日記帳」があります。

 これを読んでみると旅だちの日に氏神に参り銭をまき、見送りの人たちと酒をくみ交して別れ、陸路、海路をのりついで伊勢神宮に参り、京都や大阪など各地の名所、旧跡をめぐって帰ってきた模様がこまかく書かれています。

 人数は須川村の同行(なかま)76名、費用は一人当たり約八両一歩、米に換算すると20俵(現在では16俵)にあたると記録にでていますから、かなりの旅費であったとおもわれます。

 

本の中には、お伊勢参りの順路と日程が、地図を載せて説明しているのですが、目的地の伊勢神宮に早く行くことが目的ではなく、行は陸路なら帰りは海路であったり、行は大阪、高野山、奈良を経由して伊勢神宮に到着したら帰りは滋賀、比叡山、京都を巡っています。四国の金毘羅さんにも訪れています。まさに名所、旧跡を楽しんできたようです。

かかった日数は66日間です。今では世界一周旅行に相当するのではないでしょうか?🛳️

 

一人当たり約8両というのは、いくらになるのか?

生活や実務で役立つ計算サイトさんの「江戸通貨の円換算」に8両一分を入力してみました。

結果は82万5千円となりました。

あくまで一つの目安ですが、相当の金額と66日間という日数、家を開けられる人というと、そう多くはないように思います。庄屋さん家族?

 

 費用の内容は

交通費6.6% 宿泊(食)費14.4% 社寺参詣費他2.4% 買物76.5%

で買物(土産)がやはり一番多かったことがうかがれます。

 旅の道中では「酒の飲み過ぎで金を落した」「蛸があたり腹が痛んで薬をのんだ」「麻疹にかかってなやまされた」などがおもしろく書かれたり、各地の人情、風俗に出会いながら、未知の世界のうるわしい風景をじゅうぶんにあじわったことなど当時の人びとのくらしや生き方を知るうえで現代に生きる私たちにはあじわうことのできない旅の気持ちがあらわれています。

 

いったい何をお土産に買っていたのでしょうね。食べ物は日持ちしないから、民芸品などでしょうか?

今、こういう長旅を先人たちが楽しんでいたことを思うと、私たちこそ、もう少しゆとりを持って旅を楽しんでも良いような気になります。未知の世界のうるわしい風景に出かけましょう。

 

以前、プラタモリというタモリさんが出演している番組で、お伊勢さんを散歩している時に、町の名前は憶えていませんが遊郭の町を紹介していました。案内の人は「ここに来ることもお伊勢さん参りの一つの目的だったと思います。」ということを話していたことを思い出します。

遊郭で楽しく過ごしたことも、日記帳に書かれているのでしょう。

 

 伊勢に着いて今日がめでたく参拝という日には、みうちの者も村の氏神様に参拝し、お祝いをしました。留守見舞いもまた何回もしました。無事に帰宅という日は、また、親族や近所一同が集まり、大へんなお祝いをしました。

 参拝団は無事に帰ると、まず氏神様におまいりをし、あとで玉垣や鳥居やコマ犬や絵馬など氏神様にふさわしいものを献納しました。この一行を参宮同行といいますが、月々一回か、年に一回の立ち日に「おみきあげ」という会食が行われています。

 

強い家族や親族のつながり、氏神様を中心とした生活を感じますよね。

太刀八幡宮には、こうして無事にお伊勢参りを終えた氏子の方々が献納した絵馬や狛犬達が多く残っているということですね。

 

今の時代、海外旅行に行くにしても、「氏神様に挨拶をして親戚一同を集めて宴会をして」なんてことは、考えられないですよね。

 

 

伊勢講

 伊勢参宮には多額の旅費がかかりました。そこで考えだされたのが「伊勢講」という組織です。小さいときから年齢上下のグループをつくり、家回しで、米と掛銭(かけせん)を出し合い、何年も何十年もかかって積立貯金をしました。

 「揚げ豆腐入りの味めしとたくわんを食べて」のこの寄合はとても楽しい行事でした。また、仲間のむすびつきをつくるためにもこの風習は現在もつづけられています。一生に一度の願いというか、つとめというか、その一大行事を無事に果たしたいという強い願望がこめられていました。

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朝倉町の歴史ものがたり」より写真転載

 

すごく歴史を感じる貯金箱ですよね。

13名の方々の名前が記載されています。

仲の良い仲間が、親交を深めていたのですね。

 

現在も私の住んでいる地区では、いくつかの伊勢講が存在しています。

はじめて、伊勢講の話を聞いたとき、伊勢神宮信仰の篤い人たちだなーと思いました。

私はよそから引っ越してきているので、伊勢講には入っていませんが、仲の良い年代の人達が伊勢講を作っています。

 

先日、伊勢講でお伊勢さん参りに行っているのか?何人かの方々に聞いてみたのですが、

「香港に行った」とか「中国に行った」というように、目的の伊勢神宮を通り越して海外まで足を運ばれているようです。

昔の人が、高野山や京都などを楽しんだように、現代は楽しみ先が海外になったということでしょうか。

 

 

 

太刀八幡宮に掲げられている参宮同行写真

 

年代ははっきり読み取れないのですが、小塚地区の方々の写真です。拝殿の中に、絵馬達と一緒に掲げられています。

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約30名の男女の方々が写っています。出発の日に撮ったものでしょうね。

女性もお伊勢さんまで、徒歩と船旅という長旅をしていたのでしょうか?

いや当時の方々は女性も体力があったということでしょう。

 

「私たちも先人の遺伝子を受け継いでいるので、お伊勢さんまで歩いて行く力はあるんだろうね。」とかみさんに話したら、

「この時代の人達と体の使い方、歩き方がまったく違うから、途中で体を壊してしまうよ。」

ということでした。思わずうなずいてしまいました。

 

 

それにしても、この長旅を無事に帰ってくるのは大変な苦労もあったと思うのですが、今でいう旅行の添乗員みたいな人がいたのでしょうか?

或いは、ガイドブックのようなものがあったのでしょうか?

 

とにもかくにも大変な苦労の末に、氏神様に献納した絵馬達。

大切な地域の文化ですね。

 

 



 

太刀八幡宮の絵馬 保存の考察 絵馬堂

絵馬堂とは、神社やお寺で絵馬の額を掲げているお堂で、絵馬殿ともいいます。

 

先日、二か所の絵馬堂を拝見してきましたので、紹介します。

加えて、インターネット検索で見つけた京都の三宅八幡宮の絵馬堂と絵馬資料館を紹介します。

 

太宰府天満宮 絵馬堂

 

www.dazaifutenmangu.or.jp

 

九州最大最古という立派な建物に、数十点の絵馬が掲げられています。

 

色あせて見えない絵馬から、近年納められたものまで色々ありました。

 

写真を撮っていないので紹介が出来ないのですが、昭和の絵馬も少し色あせている感じがしました。

雨が直接かかることはありませんが、風や霧などの影響を受けるのでしょうね。

 

そして、鳩などの鳥の被害から守るためでしょうか?

金網が全面に施されており、絵馬はすべて金網越しに見ることになります。

 

太宰府魅力発見塾さんが、いくつか写真付きで絵馬を紹介しています。

 

dazaifumiryoku.com

 

歴史ある文化財的価値の高い絵馬を、直接見ることが出来てとても良かったのですが、金網越しに見ることがちょっと残念でした。

やっぱり、生で見たい。

鳩さんが悪い訳では無いけどね。🐦

 

 

 

甘木 須賀神社 絵馬堂

 

甘木祇園山笠で有名な須賀神社に、絵馬堂があります。

 

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本殿に向かって、左側にある建物が絵馬堂です。社務所と一緒の建物になっています。

 

 

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絵馬堂と書かれた建物に入り見上げると、多くの絵馬が掲げられています。

下には小絵馬を掲げる絵馬掛けもあります。


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江戸時代から昭和にかけて奉納された絵馬が掲げられています。

 

掲げられている絵馬の半分は、長寿のお祝いで奉納された人名帳です。

それがデカい。

太刀八幡宮には、ありませんね。

 

中には何が書かれているか全く分からないものもあります。

それを飾り続けるのも、文化の継承でしょうか。

 

 

三宅八幡神社 絵馬展示資料館

 

絵馬堂の進化した形として、京都の三宅八幡神社を紹介します。

www.miyake-hachiman.com

 

ホームページの内容を一部引用しながら、感想を述べていきます。

 

三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬」124点が、2009年3月11日、国の「重要有形民俗文化財」に指定されました。

何か想像を超える話ですよね。数も多いし、国の重要文化財に指定された絵馬がどういうものか見たくなります。

 

ありました。

文化遺産オンラインの中に、2枚の絵馬が登録されています。

 

bunka.nii.ac.jp

解説を一部引用します。

この資料は、近世より疳の虫封じの御利益で知られ、虫八幡とも呼ばれた三宅八幡神社に子育て祈願の目的で奉納された絵馬のまとまりである。

三宅八幡神社に参詣する子どもや親の様子、遊ぶ子どもの様子などを描いており、中には描かれた子どもの名をすべて書き込んだものもある。

三宅八幡宮ならではの特殊性を感じますね。

 

平成12年から約7年半にわたって元成逸小・有隣小、そして貞教小と様々なところで管理をされていた三宅八幡宮の絵馬が、この度、ふるさとの三宅八幡宮に戻ってきました。

色々な小学校等に貸し出されていたんですね。子供達は絵馬を観て、色々感じるのでしょう。これも文化の継承手段の一つかな。

 

ピンぼけブログ館さんのブログに三宅八幡宮の絵馬の紹介があります。

 

nakkacho.cocolog-nifty.com

 

このブログを読むと、三宅八幡宮には絵馬堂があり、そして新たに絵馬資料館を開館したのですね。

写真の絵馬の1枚は、神功皇后武内宿禰、そして赤ちゃんの応神天皇が描かれているようです。八幡宮ですからね。

 

いつか京都に行った時には、是非お伺いします。

 

 

太刀八幡宮の絵馬堂 すでにあり

 

こうして絵馬堂を見てみると、太刀八幡宮にはもうすでに立派な絵馬堂があるように感じてきました。

拝殿かつ絵馬堂。

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風雨の影響を受けない環境の中で、もうすでに立派に保存されていたのですね。

拝殿をガラス扉で囲った経緯は知りませんが、そのことが絵馬の保存に大きな貢献をしていることは間違いありません。

 

もしかして、絵馬の保存のために、ガラス扉を設置したのかな?

 

先見の明のある先人に感謝します。🙏

 

 

 

 

 

太刀八幡宮の絵馬 保存の考察 まちの文化

「絵馬 資料館」とインターネット検索したところ、非常に興味深い内容のレポートを見ることが出来ました。

 

知多半島・半田の大絵馬群―忘却の淵で輝く新たな価値

髙木 惠美子

 

京都芸術大学通信教育課程 芸術教養学科WEB卒業研究展のレポートです。

 

g.kyoto-art.ac.jp

 

知多半島・半田地区にも、多くの大絵馬が奉納されており、、「忘れ去られた文化」に新たな価値を見出せないかと、現地調査、聞き取りを重ね筆者の見解を述べている非常に参考になるレポートでした。

 

特に私が参考と感じたのは、「2.現況と課題」で述べている寺社の保存方針です。

 

一部引用します。

寺社の保存方針だが、いずれの寺社とも、奉納時から掲げたまま意識的な管理はしていない。また、「修復をしてまで遺さない」とも述べる。費用の捻出が厳しいことを主な理由とするが、根底に「大絵馬にさほど価値を感じない」という本音がある。

 

参考資料として、大絵馬所有寺社に対する聞き取り内容の記録を付けていますが、9割の寺社が、大絵馬にさほど価値を感じないと答えています。

 

また、筆者は日本絵馬史料館に調査に行っています。

日本で類少ない絵馬専門の資料館の一つである日本絵馬史料館静岡県浜松市)の近年の入場者は、年に10組程度(新年参拝時の解放期間などを除く)。絵馬に関心を持つ人は、年々減っているという。

この日本絵馬史料館は、絵馬師をしていた方が寄付した絵馬を中心に大絵馬・小絵馬1500点以上を展示しているようです。

ブログで内容を公開している方もいますが、入場者が年に10組程度というのは驚きです。

teng-chan.com

 

 

私はこのレポートを読んで、太刀八幡宮の絵馬に対する関心も同様かもしれないと思いました。

 

私は大絵馬に惹かれ、その内容を調べてブログで公開するということを楽しく進めてきましたが、誰もが大絵馬に対して関心を持っているわけではないのでしょうね。😱

 

その大絵馬に対して、「神社の維持管理費からお金を出して修復するか?」という問題が提案された時、約9割の人は反対するのかもしれませんね。

 

誰かが私財を出して修復するなら、「勝手にどうぞ」というのが現状でしょうか?

 

筆者はまとめとして次のように書いています。

 

たとえ、保存費用の確保・永久保存がなされても、大絵馬群の価値への理解と愛着が育たなければ、この文化を守ったとはいえない。

筆者の心に響くのは、考古学者森浩一の「考古学は地域に勇気を与える」という言葉・論考だ。一人一人が自分の住む地域の歴史・文化に向き合い、価値を共有し、発信することが地域の文化・まちを活性化させるという。

 

太刀八幡宮の大絵馬を地域の文化として位置付けることが出来れば、まちを活性化することが出来るということでしょうか。地域おこしですね。

 

このまちに住む人にとって太刀八幡宮の大絵馬達が、ほっと🍵心休まるひと時を与えてくれるようになると、嬉しいな。😊

そのためには、どういう道があるのでしょうか

 

 

 

 

太刀八幡宮の絵馬 保存の考察 修復

古く色あせた絵馬を見ると、修復してきれいになったら良いなーと思ったりもします。

神功皇后三韓征伐図

今回は、絵馬の修復について考察していきます。

 

佐賀県鹿島市 五の宮神社の大絵馬の例

 

この記事はネット社会だからこその事例でしょうが、太刀八幡宮の絵馬の修復を考える際には非常に参考になる内容です。

 

sakisiru.jp

 

記事の内容を引用しながら、太刀八幡宮の絵馬に例えてみます。

 

 

①太刀八幡宮神功皇后三韓征伐図を修復したいと思った長老がいました。

 

②地元への恩返しを兼ねて、友人の画家に私財を出して修復することを、宮司さん・氏子の方々に相談して了解を得ました。

 

③友人の画家は依頼を受けて、今後長く愛される絵馬にしようと精神誠意修復しました。

 

④修復した絵馬が奉納され地元の人々は喜び、地元のマスコミが取材に来て報道されました。

 

⑤すると、全国から批判の声がネット上に投稿されました。

これは修復ではなく、どこぞのキリスト像のように事故。

これは酷い、完全に別物じゃないか。

修復は修復家にして欲しい。

修復では無く創作では。

 

 

⑥それを聞いて長老は

「お話を聞いてがっくりです。みんなに申し訳ない」

と非常に困惑してしまいました。

 

仮に、太刀八幡宮の絵馬を修復することになった場合、十分起こり得る話です。

よかれと思って行った修復が、外部の人から相当な避難を受ける。

今のネット社会では、あって当たり前と思って良いでしょう。

 

記事の最後にも書かれていますが、

重要なのは「地元の人々は喜んでいる」という点だ。

どういう批判がこようが、氏子の方々が喜ぶのであればそれはなのでしょう。

だからこそ、修復を選択する場合、十分検討する必要がありますよね。

 

先日、太刀八幡宮の絵馬を見て頂いた朝倉市文化生涯学習課のNさんに、この記事の事も話しながら、次の様に聞いてみました。

 

「この神功皇后三韓征伐図は、拝殿正面中央に掲げられているように、太刀八幡宮の代表的な絵馬なので、色あせて見えないよりは、地元の高校の美術部にお願いして修復してもらうというのはどうなんでしょうね。」

それに対してNさんは、

「そういう修復よりは、この絵馬にはこういう内容が書かれているということが分かる複製画を作って。横に飾ったほうが良いのではないか。」

と意見を頂きました。

良い意見だなーと感心しました。

 

石川県金沢市の絵馬修復

 

ユーチューブに石川県文化財保存修復工房が行った、絵馬の修復作業の状況が公開されています。

修復された絵馬は、板に和紙を貼って絵付けしたものですが、絵馬修復の過程が分かりとても参考になります。

これらは、金沢市指定有形民俗文化財に指定されているものです。

 


www.youtube.com

 

福岡県にも同様の文化財修復工房があるのでしょうか?

 

 

NPO熊本文化財プロジェクト

熊本県阿蘇NPO熊本文化財プロジェクトが活動している状況が、インターネットで見ることが出来ます。

ホームページの設立趣旨を見てびっくりしました。

一部引用します。

kumamoto-cpp.com

 

神社は古来より村の拠り所として、大絵馬や天井画・歌仙絵などが奉納され、長きにわたり村人たちに親しまれ、村の求心的存在であると同時に、いわば、村の文化施設としての役割をも担ってきました。

日本全国の神社には、文化財に指定されるべき大絵馬が、何万何千と奉納されています。しかしそれらは、江戸期に描かれたような貴重な作品であっても文化財指定されることなく、その殆んどが、経年変化に加え、昨今の度重なる地震や風水害による剥落が進み、消滅の危機に晒されています。

現在、多くの神社において、農村の過疎化や神社を支える氏子の減少により、これら大絵馬を村の宝として護りたくとも、保存修復の予算確保が難しく、お座なりになっているのが現状です。そのような状況を鑑みて、私たちが会を立ち上げ、共に協力する形が生れれば、この現状を変えられるのではないかと考えました。

この設立趣旨に書かれた言葉を読むと、まるで太刀八幡宮の絵馬達のために設立された団体なのではないかと思ってしまいました。というより、全国で同じ課題に遭遇している神社がたくさんあるということですね。

 

大絵馬修復の写真もホームページに載っています。

kumamoto-cpp.com

 

代表の大塚浩平さんは日本画家であり、日本画工房 浮島館の代表も務めており、そちらのホームページにも絵馬の修復の状況を載せています。

www.ukishimakan.com

 

太刀八幡宮の絵馬達が修復の道を選ぶことになれば、こういう団体に依頼するするのも検討の一つです。

 

福岡県にも同様の組織があっていいですよね。

 

修復して良い物、悪い物

 

極端な例かもしれませんが、文化財と言われる物の中にも、修復してはいけないものもあると思います。

絵馬展のなかで紹介されていた、お馬さんやお猿さんの絵馬を、何を描いているか分かるように修復したら、その文化財としての価値は、失われるように思います。

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特別展「絵馬」 神に捧げた祈りの美 カタログより転載

 

例えば、前回ブログに書いた太刀八幡宮三十六歌仙図はどうでしょうか?

goodlightsato.com

残念ですが、ほとんどが脱落して、残った板絵も何が書いてあるか分かりません。

修復というよりは、いずれ処分されてしまうでしょう。

 

太刀八幡宮の絵馬を、修復するべきか?その場合誰に修復をお願いするか?

簡単に判断出来ない問題です。

🤔

 

 

太刀八幡宮の三十六歌仙図

太刀八幡宮の拝殿の外側上部に、三十六歌仙図と思われる板絵が飾られています。

 

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拝殿正面と東側

 


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拝殿東側

一部落下している板絵もあります。

 

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拝殿西側

ほとんど脱落しています。

 

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拝殿東側拡大写真

僧侶の姿が確認出来ます。

 

今まで紹介した拝殿内の絵馬達と違って風雨による劣化が激しく、なんとか人の姿が分かるものもあれば、ほとんどが朽ちて落下している状況です。

 

福岡県立美術館 特別展 絵馬 神に捧げた祈りの美のカタログの中に、宗像大社の歌仙図の紹介と解説をしていますので、一部引用します。

 

古今和歌集」の仮名序に紀貫之

「(和歌は)力を入れずして天地(あめつち)をうごかし(天地の神々を感動させ)」

と記したように、歌は神の心に達し、喜ばせるものであると考えられてきたことからも、和歌書を書き添えた歌仙絵は古くから絵馬として神前に奉納されている。拝殿の周囲に三十六歌仙図として掲額される場合が多い。

 

三十六歌仙とは、ウキペディアには次のように書かれています。

三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)は、藤原公任の『三十六人撰』(さんじゅうろくにんせん)に載っている平安時代の和歌の名人36人の総称である。

 

 

世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブスの「宗像地域の文化財」として、三十六歌仙図扁額福岡藩第3代藩主黒田光之奉納の一部を紹介をしています。

www.munakata-archives.asia

 

 

 

 

太刀八幡宮三十六歌仙図が奉納された当時、美しく拝殿を彩ったであろう三十六歌仙図は、絵画としての美と、和歌の教養を氏子の方々に教えた貴重な資料だったことでしょうね。

 

ユーチューブに丹生郡姫神社に掲げられた三十六歌仙図が公開されていました。

太刀八幡宮三十六歌仙図が掲げられた往時を想像して、拝見させていただきました。

ありがとうございます。🙏


www.youtube.com

 

 

太刀八幡宮の絵馬 保存の考察 文化財?

太刀八幡宮の絵馬達の保存を考える上で、この絵馬達に文化財としての価値があるのか気になりました。

 

朝倉市のホームページで、文化財の検索をすると、絵馬の指定は無いようです。

 

先日、太刀八幡宮の絵馬を見て頂いた朝倉市文化生涯学習課のNさんに、絵馬の文化財指定について聞いてみたところ、

 

「絵馬については、非常に関心を持っているところです。」

文化財指定の際は、その絵馬の美術的価値に加え、誰がどういう経緯で奉納されたのか、絵馬に描かれた内容が文化的価値があるのか等、色々評価が必要です。」

とのことでした。

 

色あせていても絵馬奉納の背景によっては、文化財としての価値があると判断することもあるのでしょうね。

 

以前、朝倉図書館で絵馬の資料を調査していた時、

福岡県の絵馬 第一集 北筑後・南筑後教育事務所管内編(平成9年3月)

という資料を読みました。

 

当時(平成9年3月)の福岡県博物館協議会会長であり、福岡県立美術館長の丸林茂夫さんが、「はじめに」として美しい文章を書いていますので、一部引用します。

 

神社に参詣したときなどに絵馬堂に立ち寄るのは今日の私たちにとっても心和む体験です。

ましてや庶民にとって絵画を鑑賞する機会がきわめて限られていたはずの往時にあっては、絵馬鑑賞は今日の想像をはるかに越える喜びと慰みを庶民に提供したことでありましょう。人々の祈りや美意識がこめられた絵馬は村落共同体の精神生活を担う中心的な表象として機能していたに相違ありません。そのことから、絵馬の文化財としての、または美術品としての価値が今日見直されようとしていることはむしろ当然のことといえます。・・・

 

絵馬の価値を簡潔に訴える名文ですね。

 

 

この資料は、福岡県博物館協議会が平成元年度において10周年を迎え、その記念事業として県内の全域の絵馬調査及び報告書刊行したものの一部です。

最終的にこの事業は、平成11年10月に福岡県立美術館で開催された

特別展「絵馬」 神に捧げた祈りの美

へとつながります。

 

「絵馬」神に捧げた祈りの美

福岡県立美術館 カタログ画像より引用

 

朝倉図書館でお借りして見ていますが、良い内容です。

生で絵馬を見てみたいと、欲が出ます。

 

福岡県の絵馬 第一集 北筑後・南筑後教育事務所管内編には、調査した神社の名前、絵馬の画題、制作年、作者、寸法、銘文が記載されています。

 

朝倉郡朝倉町では、11の神社、71点の絵馬が調査されています。

 

ところがその中に、太刀八幡宮は含まれていません。😱

 

え、なんで❓とびっくりしたのですが、報告書の中に調査期間のことに触れている個所があり、原因の一端なのかもしれないと思いましたので一部引用します。

 

筑後教育事務所管内の絵馬について

 

調査期間は平成2・3年度の二箇年間をあてたが、調査最終段階の平成3年9月には、県下は史上稀にみる強烈な台風に見舞われ、特に甘木・朝倉地域は人家や工作物、農作物等が甚大な被害を蒙った。強風による神社の被害も大きく、神社の拝殿や絵馬堂に飾られていた絵馬も暴風雨によって飛ばされる等の被害を受け、中には、調査が済んだ絵馬が所在不明になったり、被害に遭った後は神社に掛けずに倉庫等に収納されたりして思うように調査が進まず苦労した。・・・

 

平成3年といえば、太刀八幡宮も暴風雨の影響を受けています。

 

以前のブログに暴風雨について触れています。

goodlightsato.com

このブログの一部を引用します。

この記念碑によれば、平成3年9月の2回の暴風雨🌀により、古木を含め3百本余りが倒木したとのことです。

 

幸い絵馬達は無事でしたが、この時の絵馬調査からは漏れてしまったようです。

 

平成3年というと約30年前のことになります。

 

この報告書によれば、朝倉市内の絵馬の数は次の通りです。

甘木市 35神社 226

杷木町 26神社 274点

朝倉町 11神社   71点

 計  72神社 571点

これに、太刀八幡宮の絵馬のように調査から漏れた数を足すと、どれだけ膨らむのでしょうか。

あるいは、平成29年(2017)7月九州北部豪雨により、黒川の高木神社では絵馬も相当被害を受けたように聞いています。

 

それにしても、これらの多くの絵馬を再度調査し、まとめ上げようとするのは大変な労力ですね。

私が心配することではありませんが、朝倉市の担当者を応援したくなります。📣

 

参考に、うきは市には市の指定を受けた絵馬がホームページで紹介されています。

www.city.ukiha.fukuoka.jp

 

 

また福間市には多くの絵馬がホームページに紹介されていますが、福間浦鰯漁図は福岡県有形民俗文化財に指定されているとのことです。

 

www.city.fukutsu.lg.jp

 

 

こうして見てみると、太刀八幡宮の絵馬の文化財的価値を見いだすのは、氏子の方々なのでしょうね。市は文化財保護という観点から色々進めていくでしょうが、前回のブログでもいいましたが、顧問の方が絵馬の保存を考えて欲しいとおっしゃるのは、氏子として絵馬の価値を認めているからのことなのでしょう。

 

私も同感です。

 

氏子の一人として、この絵馬という文化財をもっと多くの氏子の皆様に直接見て頂きたいと思っています。太刀八幡宮に足を運び、絵馬に触れ、先人たちの思いを感じ取ることが文化を守ることに繋がり、その上で風化に対してどういう対策をしていくのかを、皆さんで智恵を出し合って考えていければと思います。

 

私も、さらに保存について勉強していきます。

 

太刀八幡宮の絵馬 小絵馬と隠された絵馬達

今まで、太刀八幡宮の絵馬 14枚と干支恵方盤、天井画を紹介してきました。

しかし、紹介した絵馬達以外に、小さな絵馬や隠れて見えない絵馬もあります。

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川中島一騎打ち」の絵馬に隠れてしまっている絵馬は、黒馬と白馬が描かれた絵馬のようです。乙王丸、善光寺 15名という字は読み取れましたが、奉納年月は分かりません。

ちょっと全体を見てみたいものです。

 

 

小さな絵馬は、個人で奉納しているのかもしれません。

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大絵馬の裏にある隠れて見えない小さな絵馬は、結構あるのかも知れません。

 

大絵馬が奉納される度に、絵馬の位置をずらしたりしてきたのでしょう。

他の神社では、廃棄された古い絵馬もあるようです。

 

以前、総代会の時だったでしょうか?

顧問の方が、

「太刀八幡宮の絵馬は、他に例を見ない程保存状態も良いので、今後どのように扱っていくのか検討して欲しい。」

とおしゃっていたことがあります。

 

今後は、太刀八幡宮の絵馬の保存について色々考察していこうと思います。