氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

天開稲荷社 参拝

令和5年5月20日 太宰府天満宮を参拝後、末社である天開稲荷社を参拝しました。

 

きっかけは、絵馬掛けに掛かっていたキツネの絵馬が可愛かったから、その絵馬に惹きつけられて、天開稲荷社に向かいました。

 

前回のブログでも言いましたが、以前大宰府市に住んでいたことがあり、よく足を運んだ大宰府天満宮ですが、天開稲荷社へは、初めての道のりのような気がしました。

 

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本殿でご挨拶を済ませ、本殿左には奥の院の看板があり、まるで古墳の中に入るようにして腰をかがめながら、奥の院を参拝してきました。

 

すると、妻が「のぼり旗を奉納しようか?」と言い出します。

 

本殿前の写真にもあるように、赤旗・白旗が途中の参道にもたくさん掲げられていました。ちなみに赤は事業を始める時など良いそうですが、競争率が高いとのことで、私たちは白を選びました。

 

奉納 のぼり旗  初穂料 3,000円 です。

 

社務所で住所・名前を記載し、金額を支払い、手続きが完了したところ、境内にいたおじさんが近寄ってきて、

 

「旗を奉納して頂いたので、天開稲荷社のお詣りの作法を教えましょう。十二支の鈴参りはご存じですか?

 

と気さくに話しかけてきました。

 

「いいえ、知りません。」と首をふる私たちに、本殿前で詳しく教えて頂きました。

 

「以前は子丑寅・・と十二支の鈴が、本殿前に吊られており、現在は本殿内左の壁に吊られています。

 

参拝者はまず自分の干支の鈴を鳴らし、その後本殿前の大鈴を鳴らします。

 

その後、2礼2拍手1礼をして参拝します。

 

本殿内には入れないので、覗き込むように自分の干支を見ながら、鈴を鳴らしたつもりになってから、本殿前の鈴を鳴らして下さい。」

 

私の猪の鈴は、前に置かれた椅子などの隙間から覗き込んで、確認出来ました。

 

「それと奥の院には行かれましたか?」

 

「はい、参拝しました。」

 

「帰りは右回りで戻られましたか?」

 

「はい」

 

奥の院に上った道、左回りで戻ると、運気が下がります。

 

それと、奥の院ではどういう姿勢で参拝しましたか。

立ったままでは、キツネさん達を上から目線で見下ろすことになりますよ。

 

本殿で祈願した内容を、奥の院のキツネさん達が、願いを届けに行ってくれます。

たくさんキツネさん達が飾ってあったでしょう。」

 

「2匹のキツネの置物は見ましたけど。」

 

「たくさんいますよ。」

 

こういうやりとりをして、色々教えて頂きました。

 

それで、再度参拝のしきり直しです。

 

本殿前の参拝をした後、奥の院に伺い、ひざまつくと、上から目線では見えなかったキツネさん達の置物がたくさんありました。

 

キツネさん達に感謝の祈りをした後、帰り道を降りてくると、先ほどのおじさんが🙆‍♂️ジェスチャーで聞いて来たので、私達も🙆‍♀️🙆‍♂️と答え、頭を下げて感謝を伝えました。

 

あのおじさんは、宇迦之御魂神のお使いだと確信しました。

何も知らない私たちに貴重な情報を教えて頂いて、ありがたい限りです。

 

 

太宰府天満宮のホームぺージには、

www.dazaifutenmangu.or.jp

 

十二支の鈴が吊られている写真や奥の院の写真が紹介されています。

 

そして、インターネット検索で天開稲荷社を調べてみると、大宰府天満宮最強のパワースポットとか、九州最古の稲荷社という記事があり、有名な所だということが分かりました。

 

どうりで、若い人たちがたくさん参拝に来ていました。

 

この素晴らしい参拝に導いて頂いたのは、太刀八幡宮境内社 稲荷神社のお陰だと確信しています。

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毎朝の挨拶のご褒美として、天に道が開き、運気が上昇する天開稲荷社に、導いていただきました。

 

本当にありがとうございます。

 

今日(5月21日)の朝、さっそく報告と感謝の気持ちを伝えました。

 

 

 

 

太宰府天満宮 参拝

今日(令和5年5月20日)の朝、太刀八幡宮境内社天満神社)に、

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金澤翔子さんの書道展を見に、太宰府天満宮にお伺いします。お願い事がありますので、相談に乗ってください。よろしくお願いします。」とご挨拶しました。

 

金澤翔子

 

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素晴らしい、エネルギーのある書に感動しました。明らかに、書の飾ってある広間に気が漂っているのが感じられます。

 

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龍の書もあるのですが、まるで龍がその広間を飛び回って遊んでいるように感じました。

 

ダウン症書道家として、活躍されており、来月には映画が公開されるということです。

 

妻が書道を始めたことから、これから日本文化である書道に触れる機会が増えそうです。

 

太宰府天満宮 びっくりその1

 

太宰府には、以前住んでいたことあり、太宰府天満は親しみのある所ですが、久しぶりに参拝してびっくり😲しました。

 

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本殿の前に立つ近代的な建物の上に小さな森🌳が出来ています。

新しい拝殿らしく、中では神主さんが祝詞を上げ、祈願の方が何組か頭を下げていました。

この斬新な拝殿は、随分物議を交わしているでしょうね。

 

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飛梅と本殿は、横から観ることが出来ます。

 

後から知った事ですが、令和の大改修を行う為の仮拝殿だという事です。

www.dazaifutenmangu.or.jp

 

この仮拝殿の前でご挨拶をして、左の飛梅前でお願いことをしました。

そして、おみくじを引いて神様からのメッセージを頂きました。

ありがとうございます。

 

びっくりその2

 

それと、もう一つ😲したこと。

 

参拝客の多さです。正月並みです。

 

たぶん海外のお客様が半数以上だったと思われます。

 

着物を着た女性達は、ほとんど海外の方です。

中国や韓国の方だとは思うのですが、日本の方かと思えば言葉が違いました。

 

修学旅行の子供達もいて、大賑わいでした。

 

参道のお店もハイカラなお店が増えていて、見違えるようでした。

 

コロナ禍が一段落して、多くの方が参拝にお見えでした。

 

梅とり作業

 

翔子展を観た文書館の庭で、梅とり作業を行っていました。

 

 

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棒で梅を落し、ブルーシートで受ける作業を、園内の梅の木すべて行っているのでしょうね。

 

初めて見る風景でした。

 

絵馬堂

 

太宰府天満宮には、立派な絵馬堂があります。

www.dazaifutenmangu.or.jp

鳥の被害から守るための金網に守られてはいますが、風雨にさらされ、平成に作られた絵馬でも、色あせているのが目立ちます。

中には、天保の時代の絵馬でも色落ちの少ない絵馬もあり、顔料の違いからくるものからか、それとも保存のために塗り直しをしたものなのかもしれません。

 

それに比べると、太刀八幡宮の絵馬達は、非常に保存状態が良いということが分かりました。

 

小絵馬を見ていると

 

境内の絵馬かけを見ていると、可愛いキツネの顔の絵馬がたくさん掛かっています。

 

色々な表情を書いて、見ていて楽しくなります。

 

絵馬には「天開稲荷社」と書かれてあり、天満宮の奥に進んだ所にあるので、参拝することにしました。

 

これは、次のブログで紹介します。

 

とても感動した参拝でした。

 

 

 

 

長老よもやま話 桜の花の下でどぶろく🍶

前回の長老から伺った話がもう一つあります。

 

現在本殿の東側は、杉林になっています。

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その場所はかつて桜🌸の木がたくさんあり、花見の時期はどぶろくを飲みながら、楽しい時間を過ごしたそうです。

 

現在は、私がこの町に住んで12年になりますが、ここで酒盛りをしている姿は見たことありません。

 

杉林は、線香林と呼ばれるようなヒョロヒョロした姿で、間伐を必要としている状態です。

 

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この記念碑によれば、平成3年9月の2回の暴風雨🌀により、古木を含め3百本余りが倒木したとのことです。

 

そして平成4年の全国植樹祭にあわせ、100本の植樹をしたことが分かります。

 

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そして、平成9年に建てられた記念碑には、杉3百本、樟2本、桜11本が植林されたと記載されています。

 

先人達の鎮守の森🌳に対する思いを受けて、明るく🔆て氏子の皆様が気楽に立ち寄り、心❤️がリフレッシュする森🌳になり、時にはどぶろく🍶を持ち寄り楽しい😊時間を過ごすようになったらワクワクしますよね。

 

どういうお手伝いをしようかな😄

長老 よもやま話(子宝の神様「さやひめ」さん)

令和5年3月31日 妻が西の参道を掃除していると、ご夫婦で参拝された方から声をかけられ、色々お話を伺いました。夜仕事から帰り夕食の時に妻から聞いたことを、記録しておきます。

 

佐塞(さい)神社

 

西の参道の入り口に、一つポツンと建っているいる境内社です。

男根(おちんちん)の像が祀られています。

 

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昨年12月にブログを公開していますが、その時の疑問が今回長老からのお話で解決していきます。

他のほとんどの境内社は、「大正15年12月11日許可を得て移轉合併す」とあるのに、この境内社だけが、明治15年であり、又建立した場所も、一つだけ本殿から離れて西の鳥居入り口にあるのです。

何故でしょうか?

 

この先は長老から伺った話です。

 

この境内社は、佐屋の川沿いにあったのを、水害に会うからといって太刀八幡宮遷座したものだということです。

 

「さやひめ」さんをお祀りしているとのこと。

神社の資料では、久那斗神となっていますが、地域の人々には「さやひめ」さんと慕われているようです。

 

子宝に恵まれない人がお詣りしていたとのこと。

 

このご主人は、お母さまが「さやひめ」さんにお詣りして命を授かったと聞いて育ったとのことです。🤱🏻

 

昔は、橋の横に池があり、鯉が泳いでいた。

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佐塞神社から西の参道入り口を写す

石橋の左側が池のあったところ、現在は埋め立てられている

 

そして、用水はきれいな水が流れ、上流側ではそうめん流しや野菜を洗ったりして、その下流で洗濯をし、そのまた下流でおむつを洗っていたとのことです。

地域の女性たちの大切な社交場だったのでしょうね。

 

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西の参道前の用水を下流側から撮影 (4月2日)

冬の間は水が流れていないが、やがて湧き水が流れ出します

今は、落ち葉と枯れた枝が落ちています

昔は、一年中水が流れていたのかもしれません

 

この話を聞いて、何故この境内社だけが他の境内社とまったく違う場所に建立されたのかの疑問が解けたのです。

 

私の妄想

佐屋橋付近の川沿いにあったお社を、太刀八幡宮に移すにあたり、皆さんが相談した結果は、

「きれいな用水のそばで私たちを見守って欲しい」

と要望したのではないでしょうか?

特に女性達は、社交場での会話を「さやひめ」さんと一緒に楽しんでいたのではないでしょうか?

 

思わぬ形で神様が疑問を解決してくれました。

そして、私には、このご夫婦は、夫婦和合の神様👫として現れたのだと確信しました。

 

私の心の中にも、夫婦和合の心があることを再確認し、神様を手本に夫婦仲良く過ごしていくことを誓ったのでした。😄

 

太刀八幡宮 春の例大祭 報告

本日3月25日、内藤宮司さんをお迎えして、仮宮である社務所例大祭が執り行われました。

 

内藤宮司さんから、「春の例大祭祈念祭といって、一年の始まりとして五穀豊穣を祈り、秋の新嘗祭を無事に迎えるための大切なお祭りです。」と説明がありました。

 

伊勢神宮のホームページから一部引用します。

www.isejingu.or.jp

日本書紀』に天照大御神斎庭の稲穂を天孫瓊瓊杵尊に授けられたことが記され、そこに日本の始まりが位置づけられることは大きな意味を持ちます。春に豊作を祈り、秋の収穫に感謝する稲作を中心とした営みを、日本人は2000年以上繰り返して来ました。天皇陛下から国民に至るまで神を祀ることは日本の大切な文化です。

 

その後祝詞奏上、神饌、玉串奉奠を行い無事にお祭りは終わりました。

 

また、神殿玉垣修復工事も無事終わった報告があり、仮宮である社務所での例大祭の後、内神殿を修復の終わった本殿に無事に移し、内藤宮司さんのお祓いを受けました。

 

秋の新嘗祭に向けて、素晴らしい一年を過ごせますようにお祈りしました。

 

さくらが満開です。

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修復の終わった神殿、玉垣
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太刀八幡宮 春の定例祭(3月25日)

令和5年 太刀八幡宮 春の定例祭が開催されます。

 

日時 3月25日 午前9時

場所 太刀八幡宮 拝殿

 

内藤宮司さんを始め、総代役員 各地区総代さんが参加されますが、一般の方々の参加も歓迎ということですので、このブログをご覧の方で興味のある方は、ご参加してみてはいかがでしょうか。

 

私も当日参加をして、動画撮影をする予定です。

 

 

神殿玉垣修復工事も概ね終わり、美しく生まれ変わった神殿・玉垣を拝見出来ます。

 

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太刀八幡宮の絵馬 その11 山猫(妖怪)退治?

 

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奉納

参宮同行 16名? 下の枠には、読み取れませんが16名の名前があります。

大正10年(1921年

松目(絵馬師?)

 

非常に色鮮やかな絵馬です。

二人の武士が、妖怪を討ち取ろうとしている瞬間です。

 

妖怪は、手足は爪のはえた猫のような獣。尾は先が二股に割れています。

顔は、妖怪としか言いようのない表情です。

 

巻物が座卓の上にあり、下には広げられた巻物があります。妖怪退治にこの巻物が関係しているのでしょうか?陰陽師の呪文かな?

 

緊迫した妖怪退治の背景は、美しい山並みや花が咲き誇る樹木があり、対照的な構図です。

 

 

源頼政 鵺(ぬえ)退治

 

インターネット検索で、妖怪退治の画像検索していると、次の画像に出会いました。

 

福津市 ホームページより転載

なんとなく似ていませんか?

 

福津市のホームページには、「福津の絵馬」と題して絵馬を紹介しています。

この絵馬の解説を一部引用します。

 

源頼政鵺退治図(龗(うがみ)神社(八龍神社))

源三位 頼政が、鵺を射落とし、郎党が短刀で刺し通している場面。怪物の頭は猿、体は狸、手足は虎、尾は蛇というものであった。

 

ウキペディア 鵺には、鵺について詳しく記載されています.

鵺退治の一部を引用します。

鵺退治

 

平家物語』や摂津国の地誌『摂津名所図会』などによると、鵺退治の話は以下のように述べられている。平安時代末期、天皇近衛天皇)の住む御所・清涼殿に、毎晩のように黒煙と共に不気味な鳴き声が響き渡り、二条天皇がこれに恐怖していた。遂に天皇は病の身となってしまい、薬や祈祷をもってしても効果はなかった。

新形三十六怪撰:猪早太と鵺 月岡芳年

側近たちはかつて源義家が弓を鳴らして怪事をやませた前例に倣って、弓の達人である源頼政に怪物退治を命じた。頼政はある夜、家来の猪早太(井早太との表記もある)を連れ、先祖の源頼光より受け継いだ弓「雷上動(らいしょうどう)」を手にして怪物退治に出向いた。すると清涼殿を不気味な黒煙が覆い始めたので、頼政山鳥の尾で作った尖り矢を射ると、悲鳴と共に鵺が二条城の北方あたりに落下し、すかさず猪早太が取り押さえてとどめを差した。その時宮廷の上空には、カッコウの鳴き声が二声三声聞こえ、静けさが戻ってきたという。これにより天皇の体調もたちまちにして回復し頼政天皇から褒美に獅子王という刀を貰賜した。

 

 

 

 

ウキペディアの解説によれば、源頼政は「雷上動(らいしょうどう)」という弓を手にして怪物退治をしていますが、太刀八幡宮の絵馬は、弓を持っていません。

鵺の姿も、尻尾は蛇には見えないので、別の怪物退治かもしれません。

 

ただ、「先祖の源頼光」といえば、以前紹介しましたね。

goodlightsato.com

 

絵馬シリーズとしても、つながりがあるのかもしれません。

 

絵馬師は、絵馬の見本集みたいなものを持っていたと思うんですが、こういう妖怪退治、鬼退治といった題材も、人気があったのでしょうか。

 

私の子供時代のテレビでも、ウルトラマン水戸黄門のような悪者成敗する番組は人気がありました。

 

いつの時代も正義が勝ち、悪や怪物を亡ぼすことが、皆の願いだったということでしょう。