令和5年3月31日 妻が西の参道を掃除していると、ご夫婦で参拝された方から声をかけられ、色々お話を伺いました。夜仕事から帰り夕食の時に妻から聞いたことを、記録しておきます。
佐塞(さい)神社
西の参道の入り口に、一つポツンと建っているいる境内社です。
男根(おちんちん)の像が祀られています。
昨年12月にブログを公開していますが、その時の疑問が今回長老からのお話で解決していきます。
他のほとんどの境内社は、「大正15年12月11日許可を得て移轉合併す」とあるのに、この境内社だけが、明治15年であり、又建立した場所も、一つだけ本殿から離れて西の鳥居入り口にあるのです。
何故でしょうか?
この先は長老から伺った話です。
この境内社は、佐屋の川沿いにあったのを、水害に会うからといって太刀八幡宮に遷座したものだということです。
「さやひめ」さんをお祀りしているとのこと。
神社の資料では、久那斗神となっていますが、地域の人々には「さやひめ」さんと慕われているようです。
子宝に恵まれない人がお詣りしていたとのこと。
このご主人は、お母さまが「さやひめ」さんにお詣りして命を授かったと聞いて育ったとのことです。🤱🏻
昔は、橋の横に池があり、鯉が泳いでいた。
佐塞神社から西の参道入り口を写す
石橋の左側が池のあったところ、現在は埋め立てられている
そして、用水はきれいな水が流れ、上流側ではそうめん流しや野菜を洗ったりして、その下流で洗濯をし、そのまた下流でおむつを洗っていたとのことです。
地域の女性たちの大切な社交場だったのでしょうね。
西の参道前の用水を下流側から撮影 (4月2日)
冬の間は水が流れていないが、やがて湧き水が流れ出します
今は、落ち葉と枯れた枝が落ちています
昔は、一年中水が流れていたのかもしれません
この話を聞いて、何故この境内社だけが他の境内社とまったく違う場所に建立されたのかの疑問が解けたのです。
私の妄想
佐屋橋付近の川沿いにあったお社を、太刀八幡宮に移すにあたり、皆さんが相談した結果は、
「きれいな用水のそばで私たちを見守って欲しい」
と要望したのではないでしょうか?
特に女性達は、社交場での会話を「さやひめ」さんと一緒に楽しんでいたのではないでしょうか?
思わぬ形で神様が疑問を解決してくれました。
そして、私には、このご夫婦は、夫婦和合の神様👫として現れたのだと確信しました。
私の心の中にも、夫婦和合の心があることを再確認し、神様を手本に夫婦仲良く過ごしていくことを誓ったのでした。😄