氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

太刀八幡宮の絵馬 その4 川中島の一騎打ち

川中島の一騎打ち

文久四(1864年)甲子 秋

奉納 小塚 矢野角平 同 嘉作 星野才作 同 平吉

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158年前の絵馬です。

馬上の武士は、上杉謙信。振り下ろした太刀を軍配で受けるのは、武田信玄。信玄の左手には数珠が握られています。太刀を軍配で受けるのは、無理があるように思いますが・・。

右の武士は、馬上の謙信を槍で突こうとしいます。色あせてはいますが、緊迫した状況を感じます。黒馬の表情も、動きも見事です。

 

川中島の戦いを解説しているホームページもたくさんありますが、学研キッズネットのホームページから引用させていただきます。

かわなかじまのたたかい【川中島の戦い

 

戦国せんごく時代末期まっき武田信玄たけだしんげん上杉謙信うえすぎけんしん信濃しなの国(長野ながの県)の領有りょうゆうをめぐって川中島かわなかじま衝突しょうとつしたたたかい。川中島かわなかじま長野盆地ながのぼんちのほぼ中央部で,さい川と千曲ちくま川の合流点にあたる。信玄しんげん謙信けんしんはここを中心に,1553年から1564年まで前後5回たたかった。しかし,両者とも決定的けっていてき勝利しょうりをおさめることができず,全国統一とういつのぞみをはたせなかった。

コーチ

1561年,第4回のたたかいが有名で,信玄しんげん謙信けんしん一騎討いっきうちしたという。
この一騎打ちの場面が、絵馬になっています。
江戸浮世絵に見る川中島合戦というホームページがあります。
たくさんの浮世絵があるのですが、一枚転載させていただきます。
 
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一騎打ちの状況を分かりやすく解説していますので、引用します。
上杉方の猛攻撃にひととき乱れた鶴翼の陣形、その隙を突いて武田本陣に単騎突入した上杉謙信は、床机に座す武田信玄めがけて、馬上から三太刀斬りつけた。これに対して、信玄は鉄製の軍配で太刀を防いだが、後で調べると七太刀の刀痕があったという。これが「三太刀七太刀伝説」といわれるもので、両雄が直接対決するほどの激戦であったことから生じた説話と思われる
鉄の軍配があったとは、まいりました。
 
川中島の合戦の詳細は、ウィキペディアや他の文章のホームぺージでが理解するのは、経緯が長くとても難しいです。
 
そこで今回は、Ýoutube高校(丸山夷)さんの【戦国時代】川中島の戦いが分かり安かったので、紹介します。長野県の善光寺も、戦に大きく関与しているのも、興味深いものがありました。
 
 

ユーチューブでは、他に色々な観点から川中島を説明している動画があります。本当に今のインターネット社会は、勉強が楽しくなる材料にあふれていますね。

 

ウィキペディアには、第4回の戦いの前に、「上杉謙信長尾景虎)は相模国鎌倉鶴岡八幡宮で、上杉家家督相続と関東管領職就任の儀式を行い、名を上杉政虎と改めて越後国へ引き揚げた。」とありますので武運の神 太刀八幡宮の絵馬として奉納されたのでしょうね。