プロフィール
内藤 主税(ないとう ちから)
昭和28年4月29日生 69歳
美奈宜(みなぎ)神社(林田)、高木神社(黒川)、日吉神社(石成)宮司
元福岡県神社庁理事、元朝倉市教育委員、元保護司、元朝倉高校PTA会長、元朝倉市消防団第12分団長
昭和59年(38年前)宮司に就任し現在に至っています。
令和4年9月17日 太刀八幡宮 幣殿内で撮影
先日(9月4日)、内藤宮司さんに時間をいただいて、色々お話をお伺いしました。
内藤宮司の本務社(宮司が常駐している神社)は、美奈宜神社(林田)です。
美奈宜神社
美奈宜神社は、分かりやすいホームページを作成されていますので、その中から一部抜粋して、紹介します。
美奈宜神社は、神社史最古の範典の延喜式に記載され格式の高い式内社にも選ばれています。
この地図は、「邪馬台国大研究ホームページ 甘木・朝倉と秋月」から転載したものです。
格式の高い式内社に、下座(げざ)郡からは美奈宜神社、上座(じょうざ)郡からは麻氐良布神社、夜須郡からは大己貴神社が記載されているということは、この朝倉郡という地域は大きな勢力があったのでしょうか。
この格式ある美奈宜神社の内藤家25代宮司が、内藤主税宮司になります。
美奈宜神社ホームページより転載
簡単に25代といいますが、これってすごいことです。自分一代の中でも、色々なことがある中で、激動の歴史の中で家系を守り続けるというのは、想像を絶するものがあったのではないでしょうか?
同志社大学で得たものとは
私は、大学受験を考えたこともなかったので、大学の概要はほとんど知りません。内藤宮司にも、「同志社大学法学部から宮司になる道があるのですか?」と聞いたくらいです。それどころか、同志社大学はキリスト教(プロテスタント)の学校でした。
色々世間の勉強のために、法律を学び、そして馬術部に入って馬の世話にあけくれていたそうです。その若き内藤青年が、同じ馬術部にいた今の奥様と運命的に出会うことになりました。同志社大学を設立した新島譲の奥様八重さんは、「妻・八重 〜新島襄とともに同志社を支え、育てた女性」として、大学のホームページに紹介されています。内藤宮司の奥様も、宮司を支え、美奈宜神社を育ててこられたのでしょう。
実は、5月に美奈宜神社を参拝した時に、奥様と少し話をしたのですが、奥様は愛知県名古屋の出身だと伺い、「熱田神宮の巫女さんをしていて、宮司と出会ったのかな?」と勝手な妄想をしていました。失礼しました。
29歳の転機
内藤青年は、大学を卒業して福岡のロイヤルに勤めます。
そして29歳の時、お父様が急にお亡くなりになったとのことです。
それから宮司を引き継ぐために、國學院大學に入学し、神職の資格を取り、宮司への道をひたすら走ってこられたということです。
宮司が少ない朝倉
以前朝倉には、24名程宮司がいたのですが、現在は8名になっているとのことです。宮司が足りない問題は、全国的な問題になっています。観光客が大勢来る大きな神社ならともかく、多くの神社は経済的な問題で宮司を続けることが出来ずにいるようですし、兼業で別の仕事をしながら神社を守っておられるところも多いようです。ましてコロナ禍で神社の祭事も自粛・神社参拝者の減少となると、ますます経営が難しくなります。
太刀八幡宮のように普段宮司が在中しておらず祭事のときだけ訪れるのが兼務社です。内藤宮司が兼務している神社は、最初に述べた高木神社(黒川)、日吉神社(石成)以外にもたくさんあります。令和3年12月31日現在の市町村別・系統別宗教法人一覧表の中の代表氏名 内藤主税の神社を抜粋したものが次の表になります。
その数38社です。これだけの数の神社を兼務することの大変さは、想像に難しくありません。
中には、九州北部豪雨で大きな被害を受けた高木神社もあり、宮司として色々心の負担も大きいのではないでしょうか。
そして、この表以外の宗教法人を取得していない所もいくつか担当しているとのことでした。
そうした中、太刀八幡宮は来年1200年祭を迎えるに当り、神社の改修工事もあり、色々ご配慮していただけることは、本当にありがたいことだと思います。兼務社の宮司としての気をお使いのこともあるのではないかと思いますが、氏子総代会長を始めとして氏子一丸となって太刀八幡宮を盛り上げていければと思います。
内藤宮司さん、これからもよろしくお願いします。
🙇♂️