氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

太刀八幡宮 参宮同行(さんぐうどうぎょう)

太刀八幡宮の絵馬や狛犬そして標柱(しめばしら)には、参宮同行という文字が書かれています。

 

第3の狛犬 ちょっと苔むしていますが。

昭和8年4月5日 参宮同行

 

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表参道の標柱 奥に古賀百工さんゆかりの子持鳥居が見えます。

 

伊勢参り

 

朝倉町の歴史ものがたり』の中に「お伊勢まいり」という項目があり、伊勢神宮三重県)に参拝する一行を参宮同行ということが書かれています。

 

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朝倉地域コミュニティ協議会で購入しました。令和4年当時 1000円

 

一部引用させて頂きながら、ブログを進めて行きます。

この本は子供達にも読んで頂きたいということから、ひらがなが多く使われ、漢字にはルビがふられています。

 

伊勢参り

 打ちつづく風、水、虫がいによる苦しい生活にあえぎ、封建制度(君主や将軍の下に多くの諸侯が土地を領有し、諸侯が各自領内の政治の全権をにぎる国家組織)のもとでの容赦のない年貢のとりたてなどのきびしいおしつけの政治にたいして、一般の人々はどこかにそのはけぐちをもとめて自由の身になりたいという願いがありました。

 伊勢神宮三重県)に対する信仰が人びとの間にひろがったのは、鎌倉時代の中頃からであったといわれていますが、とくに六十年ごとに回ってくる年を「おかげ年」といってその年にお参りすると神のめぐみがあたえられるという信仰がありました。

 

今の私たちには、想像出来ない苦しい生活をしていたのでしょうね。飢饉もあって食べ物にも困った年もあったはずです。

 

「はけぐちを求めて自由になりたい。」と思ったら、今ならどうしますか?

 

 

 来光寺の古賀家文書の中に庄屋であった古賀新五郎重吉の天保六(1835)年「伊勢参宮道中日記帳」があります。

 これを読んでみると旅だちの日に氏神に参り銭をまき、見送りの人たちと酒をくみ交して別れ、陸路、海路をのりついで伊勢神宮に参り、京都や大阪など各地の名所、旧跡をめぐって帰ってきた模様がこまかく書かれています。

 人数は須川村の同行(なかま)76名、費用は一人当たり約八両一歩、米に換算すると20俵(現在では16俵)にあたると記録にでていますから、かなりの旅費であったとおもわれます。

 

本の中には、お伊勢参りの順路と日程が、地図を載せて説明しているのですが、目的地の伊勢神宮に早く行くことが目的ではなく、行は陸路なら帰りは海路であったり、行は大阪、高野山、奈良を経由して伊勢神宮に到着したら帰りは滋賀、比叡山、京都を巡っています。四国の金毘羅さんにも訪れています。まさに名所、旧跡を楽しんできたようです。

かかった日数は66日間です。今では世界一周旅行に相当するのではないでしょうか?🛳️

 

一人当たり約8両というのは、いくらになるのか?

生活や実務で役立つ計算サイトさんの「江戸通貨の円換算」に8両一分を入力してみました。

結果は82万5千円となりました。

あくまで一つの目安ですが、相当の金額と66日間という日数、家を開けられる人というと、そう多くはないように思います。庄屋さん家族?

 

 費用の内容は

交通費6.6% 宿泊(食)費14.4% 社寺参詣費他2.4% 買物76.5%

で買物(土産)がやはり一番多かったことがうかがれます。

 旅の道中では「酒の飲み過ぎで金を落した」「蛸があたり腹が痛んで薬をのんだ」「麻疹にかかってなやまされた」などがおもしろく書かれたり、各地の人情、風俗に出会いながら、未知の世界のうるわしい風景をじゅうぶんにあじわったことなど当時の人びとのくらしや生き方を知るうえで現代に生きる私たちにはあじわうことのできない旅の気持ちがあらわれています。

 

いったい何をお土産に買っていたのでしょうね。食べ物は日持ちしないから、民芸品などでしょうか?

今、こういう長旅を先人たちが楽しんでいたことを思うと、私たちこそ、もう少しゆとりを持って旅を楽しんでも良いような気になります。未知の世界のうるわしい風景に出かけましょう。

 

以前、プラタモリというタモリさんが出演している番組で、お伊勢さんを散歩している時に、町の名前は憶えていませんが遊郭の町を紹介していました。案内の人は「ここに来ることもお伊勢さん参りの一つの目的だったと思います。」ということを話していたことを思い出します。

遊郭で楽しく過ごしたことも、日記帳に書かれているのでしょう。

 

 伊勢に着いて今日がめでたく参拝という日には、みうちの者も村の氏神様に参拝し、お祝いをしました。留守見舞いもまた何回もしました。無事に帰宅という日は、また、親族や近所一同が集まり、大へんなお祝いをしました。

 参拝団は無事に帰ると、まず氏神様におまいりをし、あとで玉垣や鳥居やコマ犬や絵馬など氏神様にふさわしいものを献納しました。この一行を参宮同行といいますが、月々一回か、年に一回の立ち日に「おみきあげ」という会食が行われています。

 

強い家族や親族のつながり、氏神様を中心とした生活を感じますよね。

太刀八幡宮には、こうして無事にお伊勢参りを終えた氏子の方々が献納した絵馬や狛犬達が多く残っているということですね。

 

今の時代、海外旅行に行くにしても、「氏神様に挨拶をして親戚一同を集めて宴会をして」なんてことは、考えられないですよね。

 

 

伊勢講

 伊勢参宮には多額の旅費がかかりました。そこで考えだされたのが「伊勢講」という組織です。小さいときから年齢上下のグループをつくり、家回しで、米と掛銭(かけせん)を出し合い、何年も何十年もかかって積立貯金をしました。

 「揚げ豆腐入りの味めしとたくわんを食べて」のこの寄合はとても楽しい行事でした。また、仲間のむすびつきをつくるためにもこの風習は現在もつづけられています。一生に一度の願いというか、つとめというか、その一大行事を無事に果たしたいという強い願望がこめられていました。

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朝倉町の歴史ものがたり」より写真転載

 

すごく歴史を感じる貯金箱ですよね。

13名の方々の名前が記載されています。

仲の良い仲間が、親交を深めていたのですね。

 

現在も私の住んでいる地区では、いくつかの伊勢講が存在しています。

はじめて、伊勢講の話を聞いたとき、伊勢神宮信仰の篤い人たちだなーと思いました。

私はよそから引っ越してきているので、伊勢講には入っていませんが、仲の良い年代の人達が伊勢講を作っています。

 

先日、伊勢講でお伊勢さん参りに行っているのか?何人かの方々に聞いてみたのですが、

「香港に行った」とか「中国に行った」というように、目的の伊勢神宮を通り越して海外まで足を運ばれているようです。

昔の人が、高野山や京都などを楽しんだように、現代は楽しみ先が海外になったということでしょうか。

 

 

 

太刀八幡宮に掲げられている参宮同行写真

 

年代ははっきり読み取れないのですが、小塚地区の方々の写真です。拝殿の中に、絵馬達と一緒に掲げられています。

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約30名の男女の方々が写っています。出発の日に撮ったものでしょうね。

女性もお伊勢さんまで、徒歩と船旅という長旅をしていたのでしょうか?

いや当時の方々は女性も体力があったということでしょう。

 

「私たちも先人の遺伝子を受け継いでいるので、お伊勢さんまで歩いて行く力はあるんだろうね。」とかみさんに話したら、

「この時代の人達と体の使い方、歩き方がまったく違うから、途中で体を壊してしまうよ。」

ということでした。思わずうなずいてしまいました。

 

 

それにしても、この長旅を無事に帰ってくるのは大変な苦労もあったと思うのですが、今でいう旅行の添乗員みたいな人がいたのでしょうか?

或いは、ガイドブックのようなものがあったのでしょうか?

 

とにもかくにも大変な苦労の末に、氏神様に献納した絵馬達。

大切な地域の文化ですね。