善光寺同行 19名
奉納年月は色あせて読み取れません。
大内竹春 絵馬師の名前
「福岡県の絵馬(平成9年3月)の資料の中に、多々連天満宮の絵馬(神功皇后伝絵)明治6年 の作者が大内竹春となっています。」
この絵馬も明治初期の作品でしょう。
歌舞伎の風俗画というのは、鶴田多々穂さんの付けた題名です。
歌舞伎は江戸時代には、庶民の娯楽として楽しまれていたようです。
歌舞伎の舞台の一場面でしょうか。
舞台の幕というか飾り幕の図柄は、笹竜胆(りんどう)でしょうか?
右の武士の着物にも同じ柄が描かれています。
真ん中の武士は、右手に刀を持ち、左手には何か丸い筒のような物を持っているように見えます。何が入っているのでしょう。
黒っぽい着物に、朱色ではでな袴(はかま)を着ています。
読み取れませんが、どこかに家紋が入っていても良いですよね。
女性を見ているのでしょう。
女性は少し悲しげなしぐさを感じます。
奥様なのでしょうか。
歌舞伎の学びが無ければ、この一場面で物語を語ることは出来ませんね。
笹竜胆紋
笹竜胆を検索すると、「家紋のいろは」さんのホームページが詳しく家紋を紹介しています。
一部引用します。
笹竜胆紋は、笹に似た5枚の葉を下向きに広げて描き、その上に3つの花を描く。
絵馬の紋は、五枚の葉に、花が一つです。
ホームページには、その他の竜胆紋47種も紹介されていますが、絵馬の紋はありませんでした。
仮に笹竜胆紋だとすると、源氏に関わる物語かもしれませんね。
歌舞伎「絵本太功記」
この絵馬に似た題材をインターネットで検索していると,刀剣ワールドさんの浮世絵の中に少し似ているものが見つかりました。
浮世絵のように、名前が記載されていると良くわかるのですが、絵馬にはそういう風習は無かったのでしょう。
ただし、武士には笹竜胆紋の図柄はありませんね。
明智家は桔梗紋だということです。
ウキペディアより引用
この絵馬の題材となった歌舞伎の演目ははっきりしませんが、この絵馬が奉納された時は、歌舞伎を実際に見るがごとく、解説する長老の熱弁を聞いていたでしょうね。
奉納が終わって神様と一緒になって、直会してお酒を飲んでいる姿が、目に浮かびます。