神社を参拝すれば、必ず鳥居が出迎えてくれます。
今回は、太刀八幡宮の鳥居を紹介します。
鳥居とは
ウキペディアを引用しながら、鳥居について学んでいきます。
鳥居(とりい)とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。
毎朝太刀八幡宮に参拝する時は、まず鳥居のところで「おはようございます」と挨拶をしています。
真ん中は神様の通る道なので、真ん中を避けて右側か左側を歩くように紹介しているものがあります。右側を歩く場合は右足から入り、左側を歩く場合は左足から入るようですが、私たちは今のところあまりこだわらず、挨拶をして入っています。
鳥居の起源については、国内起源説や外国起源説など諸説あり・・・
主要な説として、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木をいたことが起源であるとする説・・・
ウキペディアには、インドや中国、朝鮮半島やイスラエル等の起源説が紹介されていますが、こんなに全国に鳥居があってその起源や語源について色々な説があるというのも、不思議な話ですね。
とにかく、鳥居を境に神様の世界に入るということですね。
鳥居のところで頭を下げている方は多いと思いますが、神聖な場所に対して頭を下げるという意味では、お茶席や武道場なども皆さん頭を下げています。
それにならって、半年程前から私は会社の門を通る時、頭を下げるようになりました。
最初は、恥ずかしい気持ちもありましたが、この頃は落ち着いて頭を下げられるようになりました。これからは、鳥居と思って堂々と頭を下げてみます。
太刀八幡宮の鳥居 見取図
4基の鳥居がありますが、建立年月の古い順に紹介します。
本参道 子持鳥居
明和ニ乙酉年三月吉祥日 西暦1765年 (258年前)
建立者 古賀百工はじめ8名の庄屋さん達
太刀八幡宮の鳥居といえば、なんといっても「子持ち鳥居」が有名です。
堀川の恩人 古賀百工さんゆかりの鳥居で、地元の人によく知られています。
朝倉市のホームページに「ふるさと人物誌 堀川の恩人 古賀百工(こが ひゃっこう)」として詳しく紹介しています。
子持鳥居については、最初の頃のブログで紹介しています。
私たちは、毎朝この子持ち鳥居の前で「おはようございます」とご挨拶をしてから参拝しています。
石段を登って行くと、正面に本殿が現れる姿はとても美しいものです。
案内看板では、「他に例のない珍しい鳥居」と書かれていますが、全国的には厳島神社の大鳥居のようにいくつか例はあるようです。
ウキペディアより転載
こういう様式は、ウキペディアによれば、「両部鳥居(りょうぶとりい) - 主柱を4本の稚児柱で支える。」というようです。
西参道 2の鳥居
正面写真
右柱 正面
奉 再建鳥居壹(いち)基
再建ということは、以前に鳥居があったのでしょうね。
1200年の歴史ですから、鳥居も何度も再建しているのでしょう。
左柱 正面
富村産子中
富村というのは、昔の村の名前でしょうか?良くわかりません。
右柱 下部
星野茂三郎他11名の名前が彫られています。
星野茂三郎さんといえば、このブログでは今回4度目の登場です。
1回目は、太刀八幡宮の絵馬 神功皇后三韓征伐図の奉納者でした。
2回目は、太刀八幡宮を参拝した明治維新の志士達の隠れ家として登場しました。
竹内五百都が隠れ家として滞在し、西郷隆盛や月照さん、野村望東尼などが訪れています。
3回目は、狛犬さんの奉納者として登場しました。
大庄屋 星野茂三郎さんは、太刀八幡宮に大きな貢献をしました。
ありがとうございます。🙏
左柱 下部
屋山藤之進有利?さん等11名の方の名前が彫られています。
多くの方の寄進により再建された鳥居です。
北参道 鳥居
正面写真
右柱正面
禾穀稜々(たぶんそうだと思います。)
左柱正面
莟生怡楽
右柱 裏側
大正十二年四月吉晨(きっしん めでたい日) 1923年 (100年前)
下部には12名程の名前が彫られています。
左柱 裏側
上之原 善光寺 敬神団
下部には9名の方の名前が彫られています。
大正時代には、敬神団という集まりがあったのですね。
今は聞かないので時代の変化とともに、解散したのでしょうか?
禾穀稜々(かこくりょうりょう)
莟生怡楽(かんせいいらく)
柱の全面に彫られた4文字熟語は、「宣揚文(広く世の中にあらわすこと)」と呼ばれています。
4文字熟語字典で調べても、こういう文字は出てきませんでした。
柱で彫られた文字も私の知識では読み取れません。
スマホの「漢字検索」というアプリを使いながら、一文字づつ手書き検索で調べてみました。
禾 稲わら、穀物の総称
禾穀 稲のこと。また、稲・・・などのの。
稜々 かどだっているさま。「―たる山々」
莟 つぼみ
生 草木が芽を出す
怡 よろこぶ。たのしむ。
怡楽 喜び楽しむこと。
言葉を紡いでいくと、次のようになりました。
稲が山並みのように成長し、たわわに実った姿を見て、神々とともに喜び楽しんでいます。
子持鳥居前から撮影。
稲刈りが始まりました。
耳納連山の山並みと稲が育った姿が重なり、「稜々」とした言葉が似合います。
毎年の稲の実りを祈った言葉です。
西参道 1の鳥居
昭和六年〇? 建立したという意味だとは思うのですが? 1931年 (92年前)
右柱 裏側
中島田石工 酒井 千次郎
左柱 裏側
六十一記念 建立者
鬼塚朝次郎
還暦を迎えての感謝の奉納でしょうか?
唯一個人で建立された鳥居です。
東の参道は鳥居がありません
東の参道は、鳥居がありません。
代わりじゃないですが、標柱(しめばしら)が立っています。
神社脇の道路の整備とともに駐車場が出来て、東の参道が整備されたのだと思います。
標柱については、別のブログで紹介します。
いつか、誰かが鳥居を建立する時が来るのでしょうか?