氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

太刀八幡宮の絵馬 その6 源 頼光 鬼退治(酒吞童子)

源 頼光(みなもとの よりみつ) 鬼退治(酒呑童子

明治29年(1896年)3月吉日

奉納 善光寺同行 14名

 

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退治した鬼の首が、源頼光の兜に食らいついています。非常に迫力のある絵馬です。

部下である武士が、見守っています。

 

鬼退治の英雄 源頼光

 

源頼光を色々検索していると、京都府福知山市にある「日本の鬼の交流博物館」にたどり着きました。

 

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このポスターの絵画の中で、中段の絵画には、絵馬と同様に鬼の首が頼光の兜に食らいついている状況が描かれています。

 

日本の鬼の交流博物館のホームページから、酒呑童子伝説を一部引用します。

www.city.fukuchiyama.lg.jp

時は平安朝、一条天皇の頃。西暦1000年前後、京の都は栄えていましたが、それはほんの一握りの摂関貴族たちの繁栄であり、世の中は乱れに乱れ民衆は社会不安におののいていました。そんな世の中で、酒呑童子は王権に叛き、京の都から姫君たちを次々にさらっていたのです。


 姫君たちを奪い返し酒呑童子を退治するため大江山へ差し向けられたのが、源頼光(みなものとのよりみつ)を頭に藤原保昌(ふじわらのやすまさ)並びに四天王の面々、坂田公時(さかたのきんとき)、渡辺綱(わたなべのつな)、ト部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)ら6名です。


 頼光ら一行は山伏姿に身をやつし、道中、翁に化けた住吉・八幡・熊野の神々から「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」を与えられて道案内をしてもらい、途中、川のほとりで血のついた着物を洗う姫君に出会います。一行は、姫君より鬼の住処を詳しく聞き、酒呑童子の屋敷にたどり着きました。


 酒呑童子は頼光一行を血の酒と人肉で手厚く歓待しますが、頼光たちは例の酒を童子と手下の鬼たちに飲ませて酔い潰し、童子を返り討ち、手下の鬼共も討ち果たします。捕らえられている姫君たちを救い出し、頼光たち一行は都へ上がりました。


 討ち取られた酒呑童子の首は、王権に叛いたものの見せしめとして川原にさらすため、都に持ち帰られますが、途中、丹波、山城の国境にある老の坂で急に重くなって持ち上がらなくなり、そこで葬られたといわれています。

 

そして、福山市は、大江山鬼伝説をWEB動画作成し公開しています。

福知山市は、大ヒットアニメ作品の影響で「⻤」への関⼼が⾼まる今、歴史上最強の鬼を退治した伝説(元祖鬼殺隊伝説)が残る⼤江地域の⻤⽂化をより多くの方々に知っていただきたいと、大江山鬼伝説」を初のアニメコンテンツ化したWEB動画「転生したら鬼退治を命じられました」篇を12月6日(月曜日)より公開しました。

大江山鬼伝説」とは、平安時代中期に生まれた武将「源頼光(みなもと らいこう)※」が、「頼光四天王」と呼ばれる屈強な家臣らを従え丹波国⼤江⼭へ向かい、酒吞童子(しゅてんどうじ)率いる鬼の一味を討伐(鬼退治)するという伝説です。

 


www.youtube.com

 

この動画を見たお陰で、切り落とされた鬼の首が、頼光の兜に食らいついても、大丈夫だった理由が、分かりました。

 

酒呑童子という名前は聞き覚えがありますが、ほとんど話の内容は覚えていません。

昔、小学校の授業で学んだのかもしれません。

 

しかし、博物館の鬼伝説や福知山市の動画にしても、分かりやすく作成してくれています。

お陰様で、この絵馬のことを楽しく見ることが出来ます。

 

童子切安綱(どうじぎりやすつな)

 

源頼光が、酒吞童子の首を切り落とした刀が、現在国宝として東京国立博物館が所蔵しているということです。

 

ウキペディア童子切から画像と内容を一部引用します。

童子切:太刀 銘安綱(名物童子切安綱)刀身

童子切(どうじぎり)は、平安時代伯耆国の大原の刀工・安綱作の日本刀太刀)。童子切安綱(どうじぎりやすつな)とも呼ばれる。日本国宝に指定されている。

天下五剣の一つで、大包平と共に「日本刀の東西の両横綱」と称される最も優れた名刀とされている。

清和源氏嫡流である源頼光丹波国大江山に住み着いた鬼・酒呑童子の首をこの太刀で斬り落としたという伝承から「童子切」の名がついた

 

平安時代の刀が、それも実際に使用された刀が現在も残って国宝に指定されているなんてすごいことです。

 

大ヒットアニメ「鬼滅の刃」の中でも、鬼を退治する刀鍛冶の里の人々が描かれていました。ひょっとこの面を付けて必死に刀を鍛える姿が印象的でしたが、この童子切安綱を製作した安綱さんも、同様に、ものすごい精神集中の中で、製作していったのでしょう。

優れた刀鍛冶がいなければ、鬼退治も出来なかったというのは、アニメの話だけではなく、実際の話でもあったのでしょう。

 

テレビアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶篇の宣伝ビデオがありましたので、紹介します。


www.youtube.com

 

以前のブログ「太刀八幡宮の境内神社その① 太刀神社」で紹介しましたが、太刀塚に納められている神功皇后の太刀も、国宝の価値があることは、間違いないでしょうね。

 

 

 

この絵馬を奉納した思いとは

 

この絵馬が奉納されたのは、明治29年3月です。

その頃の出来事といえば、明治27年7月25日から明治28年4月17日にかけて行われた日清戦争があります。

日清戦争については、ブログ

goodlightsato.com

で紹介しましたが、「清国に勝ったことで国民精神は高揚していた」とあったように、朝倉でも大騒ぎであったことは確かでしょう。

 

この絵馬で描かれた鬼は、清国を意図していたのかもしれません。それに対して勇敢に戦った源頼光達の姿は、日本男児こうあれという気持ちが込められているのかもしれません。

 

ちょっと考えすぎかな。

 

ひとつの物語として、悪に立ち向かう勇敢な姿を、子供達に伝えるために奉納したのかもしれません。

 

私としては、私の心の中に起こる怒り、憎しみなどの悪の心・鬼の心を、太刀八幡の神様方に祓って頂きたく、この絵馬を奉納します。🙏