神社内にある教育委員会が設置した案内板には、次のように記載されています。
所在地 福岡県朝倉町大字大庭字乙王丸1504
祭神 宗像三女神(田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命) 応神天皇 神功皇后
太刀八幡宮は、大字大庭の氏神であり、毎年10月25日に祭礼が行われる。
神功皇后は、日向国(宮崎)の熊襲、秋月の羽白熊鷲、筑後の土蜘蛛田油津姫などの強敵を討ち亡ぼし、三韓への遠征のために大庭村の上野原に軍勢を集め、国敵降伏を祈り自らの太刀を奉納して「太刀社」を祀られたのが始まりといわれている。
弘仁14年(823)、豊前国宇佐八幡宮の霊を移し、社殿を建て「太刀八幡宮」とした。
応安7年(1374)、将軍足利義満の先陣畠山義深が、宮方の菊池武政を討つために当地に至り、故事にならって社に弓矢・太刀を奉納して戦陣に向かったといわれている。
境内には、太刀を納めた太刀塚があり、「御太刀塚」の碑が建っている。また、正面の「子持鳥居」は、他に例のない珍しい鳥居である。
ということで来年は2023年なので、1200年祭が行われるのですが、神功皇后が太刀社を祀られたのは、さらに年月をさかのぼることになります。
太刀塚の全景です。
囲いの中に大石があります
石碑には、次のように記されています。
摂政元辛巳年
祭鎮大帯姫尊御太刀塚
三月二十五日
石碑からは読み取りにくい年号は、福岡県神社誌に記載されていました。西暦201年になります。太刀八幡宮が出来る622年前には、太刀社があったことになり、今から約1820年前のことになります。
大帯姫尊は、神功皇后のこと。古事記では、大帯比売命や息長帯比売命と書かれているようです。祭鎮は、コトバンクに鎮祭として「諸神をまつりその土地をしずめ固めるための祭儀。」とあります。
そして、福岡県神社誌には、「御奉納の太刀の銘乙王丸との古老の口碑により此地を乙王丸村と為したり。」とあります。
1820年前の出来事が、神社の住所でも分かるように、現在に伝わっているなんてびっくりします。
この悠久の歴史の地に立ち、その歴史を紐解くことが出来ることに、とても喜びを感じています。