太刀塚を守るようにある石の囲いが設置されています。
正徳元辛卯九月吉日。 西暦1711年なので、太刀を納めてから、1500年後になります。その間何も無かったわけではないでしょう。色々な歴史を経て、この時復興されたものが、現在まで残っているのでしょう。
一番手前の石碑には、延享四子卯天 九月吉日と彫られています。西暦1747年です。裏には、寄進された個人の名前が彫られいます。
そして、『皇漠雄深 天業剣成』の石碑は、皇紀二千年祭の時のもので、太刀塚修理とあります。昭和15年(西暦1940年)。皇謨(こうぼ)は、天皇が国家を統治する計画。雄深は、大きく深いという意味。天業は、天のわざ・天子の事業。
神功皇后が剣を納めたことに、深い計画を感じます。
とにかくこの太刀塚は、氏子のみならず足利義満の先陣畠山義深などの武将にも信仰厚く、大切に守られて今日に至っているのでしょう。