⑤ 徳満宮
祭神 保食神(うけもちのかみ)
正面写真
左側面写真
大正12年6月 ○○
背面写真
浦 福七
鬼塚 竹次郎
荻 ○吉
辛川 新右エ門
右側面写真
浦 米吉
丸山 惣三郎
辛川 隣
石工
酒井 千次郎
神社庁への提出書類
太刀八幡宮の境内社 遷座の歴史で紹介しましたが、神社庁への提出書類には次のように記載されています。
大字大庭字乙王丸に祭祀ありしを大正15年12月11日許可を得て移轉合併す
この境内社には、二柱の祭神が祀られています。
私は、二柱とも今までまったく知らずに生きてきました。読み方も分かりません。
色々調べていきます。
1.保食神(うけもちのかみ)
ウキペディア 保食神を引用します。
神話での記述
天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
ウキペディアの解説にもありますが、
この説話は食物起源神話であり、東南アジアを中心に世界各地に見られるとのことです。『古事記』では同様の説話がスサノオとオオゲツヒメの話となっています。
食物神であり、農業の神であり、牛馬の神であり、また蚕の神として祀られているとのことです。
以前は、農業には牛馬が欠かせませんでした。そして私が現在住んでいる家にも、蚕を育てていた棚がありました。今は天井をすべて撤去したので残ってはいませんが、この地区では養蚕が盛んだったのでしょう。
インターネットで検索しているとユーチューブに次の動画が見つかりました。
一部引用します。
保食(うけもち)の神祀らずに、いくら野山拓いたとて、物作ることはできないぞ。
野拓く時は野の神まつれ。
物作る時は保食(うけもち)の神まつれ。
産土の神様にもお願いして、お取次ぎ願わねば何事も成就せんぞ。
山も川も野も人民も草も木も動物虫けらも何もかもこの方の徳であるぞ。
地にむかえ、草にむかえ、生物にむかえ、木にむかえ、
石もの言うぞ、草もの言うぞ
この神事を見ると、いかに保食神(うけもちのかみ)がこの自然界において大切な役割をしているのかが分かります。
今回学んだことを活かすためにも、小さな家庭菜園ですが、我が家の庭のあらゆる生物鉱物に感謝して、自然栽培を実践していきます。
ウキペディア ミズハノメから引用します。
『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記する。神社の祭神としては水波能売命などとも表記される。淤加美神とともに、日本における代表的な水の神(水神)である。
『古事記』の神産みの段において、カグツチを生んで陰部を火傷し苦しんでいたイザナミがした尿から、和久産巣日神(ワクムスビ)とともに生まれたとしている。『日本書紀』の第二の一書では、イザナミが死ぬ間際に埴山媛神(ハニヤマヒメ)と罔象女神を生んだとし、埴山媛神と軻遇突智(カグツチ)の間に稚産霊(ワクムスビ)が生まれたとしている。
水神社
罔象女命(みずはのめみこと)といえば、この地区では山田堰にある水神社が有名とのことです。
朝倉神社回廊さんのホームページによれば、
享保7年(1722年)山田堰から堀川用水に水を通すため切貫水門工事を起こすにあたり、工事の安全と水難消除を祈り、水波能売命を祭祀し水門の上に水神社を建立。
寛政10年(1798年)堀川用水を築いた古賀百工の功績を称え合わせて祀っています。現在も山田堰・堀川・水車群・堀川用水路の守護神です。
とあります。
以前のブログ子持鳥居 - 氏神様は太刀八幡宮で紹介しましたが、この太刀八幡宮の地区の田んぼの水を潤してくれるのも山田堰のお陰であり、古賀百工さんのお陰でもあります。
子持鳥居をブログ公開した時は、田んぼに水がはられた時でしたが、今は稲刈りも終わり、新嘗祭も終わり、時が過ぎているのを感じてしまいます。
罔象女命(みずはのめみこと)はどういう神様?
穴場の神社とお寺へ御朱印巡りさんのホームページに分かりやすく解説していましたので、一部引用します。
実はこの罔象(みづは)という名前、中国の古書にも登場するのですが、それには「龍」や「子供の姿をした水神」と説明されているんです。
神格
- 水の神様
- 井戸の神様
- 灌漑用水の神様
- 農耕の神様
- 神徳
- 祈雨、止雨、治水、農耕守護、
- 商売繁昌、子宝、安産
朝倉町史に書かれていた雨乞い
朝倉町史(p849)には、次のように記載されています。
乙王丸部落では、徳満宮のご神体を水につけると雨が降るというので、荒々しく水の中に投げ込んだという。
ご神体がどういう姿か分かりませんが、当時の方々が降雨を願って神頼みをしていることがよく分かります。
どの川に投げ込んだのでしょうか?
それともどこかの井戸の中に投げ込んだのでしょうか?
いつかご神体を見る機会があることを祈っています。
雨乞い祈願石燈篭
太刀八幡宮の西の参道の入り口にある鳥居の横に、雨乞い祈願の石燈籠があります。
碑文の内容です。
上座部大庭村産子中
請雨願成就石燈吉○
元文二丁巳(ひのとみ)年九月吉
1737年の建立です。
先ほど紹介した水神社に掲げてある年表を見ると、この時代は大干ばつ・飢饉と大洪水に見舞われた時代であることが分かります。
1722年(享保7年) 水門新設 水神社を祀る
1724年(享保9年) 旱ばつ
1726年(享保11年) 洪水
1728年(享保13年) 大旱ばつ
1732年(享保17年) 享保の大ききん・稲凶作、筑前国餓死者10万人、捨子禁止令出す
1736年(元文1年) 筑後川大洪水
1737年(元文2年) 太刀八幡宮の「請雨願石燈」建立
1754年(宝暦4年) 大風
1758年(宝暦8年) 大雨洪水・干ばつ根付不能
下線部は、朝倉町史の年表抜粋
捨子禁止令が発令されるほど、口減らしが横行していたことを思うと言葉になりません。
大地と水の神様に感謝
この徳満宮という境内社に、何故二柱の神が祀られているのだろうと疑問に思っていましたが、こうして調べていくと、まさに人や生物が生きていく上で欠かせない、大地と水の組み合わせではないかと思います。
大地を大切にし、水を大切にすることを誓いながら、朝のご挨拶をしていきます。
ちょっとこぼれ話
先日、新海誠監督の「君の名は」を観たのですが、ヒロインの名前「宮水三葉(みやみずみつは)」を、新海監督は、日本書紀に登場する「罔象女神(ミツハメノカミ)」から命名したと明言しているらしいです。
私は、みつはさんの「口噛み酒」を飲んでみたいと思っていました。🍶