氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

太刀八幡宮の境内社 ⑧厳島神社

太刀八幡宮境内社 ⑧厳島神社

 

祭神 市杵島姫命=弁財天

 

正面写真

 

f:id:goodlightsato:20221229172708j:image

 

左側面写真

f:id:goodlightsato:20221228101257j:image

このお社は、非常に長い碑文が書かれています。出来る限り解読してみます。

 

柳此辯財天ヲ勧請□□□□

不代ノ臣諸岡勘次衛也□□ノ頃

秋月□城ノ□夜須郡依井村二住□

南筑生乗郡吉井ノ市二商用在二

妻往来ノ節大庭村平田□□□二

望テ文禄□□ニ住宅ヲ移□□百

 

 

内藤宮司さんと現地確認した際、下線箇所の辯財天大庭村平田そして次の写真にある背面の石に刻まれた竹生島の文字で、神社庁への提出書類にある厳島神社であると判明しました。

 

 

背面写真
f:id:goodlightsato:20221228101306j:image

背面の石 正面
f:id:goodlightsato:20221228101303j:image
竹生島

 

背面写真 

f:id:goodlightsato:20221228101300j:image

読めません

 

右側面写真

f:id:goodlightsato:20221228101254j:image

□□□□□子孫繫栄□□□□

□□□長久ヲ祈□ナリ

 

願主 師岡 産徒

 

石工  平□□□

享和元年(1801年) 辛酉 九月 朔日

 

この碑文は、220年前に、弁財天を勧請する経緯や、子孫繁栄や長久の祈りが刻み込まれたものだというのが分かりますね。

全文を解読出来ればいいのですが、残念です。

 

神社庁への提出書類

 太刀八幡宮の境内社 遷座の歴史で紹介しましたが、神社庁への提出書類には次のように記載されています。

 

厳島神社 市杵島姫命

     大字大庭字平田に祭祀ありしを大正15年12月11日許可を得て移轉合併す 

 

 

この平田という字名は、前回の⑦天満神社と同様です。

 

天満神社 菅原神

     大字大庭字平田に祭祀ありしを大正15年12月11日許可を得て移轉合併す

 

さくら町の歴史ものがたりの太刀八幡宮の項に、地名のことで次のような記述があります。

太刀八幡宮の南の方に徳次(とくつぎ)・塗器(ぬるげ)という集落の地名がありますが、この名前のおこりは神功皇后がこの地にこられたときにできたといわれています。

徳次は「磨剣(とくつるぎ)」であって、剣(つるぎ)などを磨(と)がれたところで、また、塗器(ぬるげ)は剣や槍(やり)などに漆などを塗らせたところとつたえられています。

 

f:id:goodlightsato:20221225152312j:image

図は神功皇后伝承を歩く 綾杉るな から転載

 

以前、子持鳥居で紹介した古賀百工さんも徳次の生まれです。

百工さんの名前は、古賀十作義重です。朝倉町の歴史ものがたりには、「上座部大庭村(現在の朝倉町上野原の徳次)の庄屋の家に生まれ、父のあとをついで庄屋になりました。」とあります。

 

信仰心の篤い地域なのでしょうね。

 

 

弁財天、市杵島姫命

 

弁財天といえば、財運の神様というイメージです。

 

太刀八幡宮主祭神である宗像三女神の一柱、市杵島姫命と同じ神様といわれています。

 

ウキペディア 弁財天を参考にします。

 

日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インド中国で伝えられるそれらとは微妙に異なる特質をもち、本地垂迹では日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されることが多い。

 

本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、神道の八百万の神々は、実は様々な菩薩天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。

 

弁財天をを分かりやすく説明してくているブログがありましたので紹介します

xn--u9j9e1dod0167aiqtaxv0betc.com

 

ご利益を引用します。

弁財天のご利益は、金運アップの他にも様々なものがあります。

海上安全・交通安全・豊漁・商売繁盛・知恵・財福・戦勝・恋愛成就・子孫繁栄・子授け・音楽上達・技芸上達・弁舌・長寿延命

などなど、この他にもたくさんあって書ききれません。

 

竹生島(ちくぶしま)

 

境内社の背面にある石に刻まれた「竹生島」。琵琶湖の北部に浮かぶ島です。竹生島の弁財天は、日本三大弁財天の一つといわれており、なおかつ最も古いので、大弁財天ともいうようです。

この島は、現在竹生島宝厳寺竹生島神社がありますが、元は神仏習合の島であり、明治以降神仏分離令により分かれたものだということです。

 

www.chikubushima.jp

 

ホームページを見ると、国宝の唐門を始め重要文化財がたくさんあります。

一部由来を引用します。

竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。

それ以来、天皇行幸が続き、また伝教大師弘法大師なども来島、修業されたと伝えられています。

 

琵琶湖に浮かぶ小さな島が、弁財天の聖地として、発展しそして守られてきていることが分かります。

 

住職の四方山話というページがあるのですが、その中の「清い心の弁天様」というお話に弁天様へのお詣りの仕方というか心構えがあります。一部引用します。

弁天様は「弁財天」と書いて商売繁盛・財福の神様としても信仰されていますが、弁天様が分け隔てなくあまねく人に財をもたらしてくれるものと解釈すべきではありません。 財を成すには、己の損得勘定だけで商売をするのではなく、相手や周囲にも気を配り、誠実さをもって商売に勤しむことが必要ではないでしょうか。
母が子に対して注ぐ無償の愛、すなわち慈母愛にも似た清い心をもって誠実に商売に勤しめば、自ずと福が来るということを、弁天様のお姿の中に読み取っていただければ幸いです。

 

自分の行動が、「誠実な行動なのか」いつも心にとめていきたいと思います。

 

ユーチューブで竹生島を観光

ユーチューブで竹生島を検索すると、とても楽しくて、弁財天の勉強も出来、国宝や重要文化財を拝見しながら竹生島を堪能できる素晴らしいチャンネルを見つけました。本当に修学旅行でバスガイドさんの話を聞いているような、ワクワクして笑いありの時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございます。

 


www.youtube.com


www.youtube.com

 

 

いつか竹生島を訪れる機会に恵まれますように👏