氏神様は太刀八幡宮

1200年の歴史を紐ときます

故 内藤主税宮司の神葬祭

はじめに

 

このブログ「氏神様は太刀八幡宮」は、内藤主税宮司の支援・応援なくして、今日まで続くことはありませんでした。

インタビューもさせていただきました。

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絵馬のこと、境内社のことなど、太刀八幡宮の現地で一緒に調査したこともありました。

 

例大祭のビデオ撮影をブログで紹介したこともあります。

 

私は、太刀八幡宮は37社ある兼務社の一つであることから、お忙しい宮司さんにあれこれ相談することを遠慮していましたが、先日水の文化村であったイベントで偶然お会いした時も、「太刀八幡宮のことを調べて、ブログで発信している方です。」とお近くの方々に気さくに紹介してくださいました。

 

亡くなられた前日である7月24日は、「太刀八幡宮 夏の例大祭」を執り行って頂いたばかりでした。車でお帰りの際に「また、相談事がありますので、近いうちにお伺いします。」と声をかけたのが、最後の会話になりました。

 

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急な訃報に接し、お通夜・告別式と参加して、内藤宮司さんの功績や人柄を再認識する中、感謝の意味を込めて、神葬祭のことをこのブログで紹介させて頂きます。

 

神葬祭神道の葬儀)

 

いすや斎場頓田会館で、大勢の方の参列の中開催されました。

 

7月28日 お通夜

7月29日 告別式

 

7月25日の朝、用事で出かける準備をして椅子に座っていたところ、ご家族が気づいた時には、心筋梗塞で心臓が停止し、脈もない状態だったそうです。長男の内藤尚武祢宜、奥様の懸命な心臓マッサージ、そして救急隊、お医者様の対処にも関わらず、そのままお亡くなりになったとのこと。

あまりに突然のことで、ご家族も動揺を隠せない様子でした。(尚武さんの挨拶より)

 

 

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内藤主税宮司のお人柄を表すかのように、多くの方々が参列されました。

 

お通夜に参列した人数は1,000人は超えていたのではないでしょうか。参列者の玉串奉奠はいつ終わるのかと思うほど、続いていました。

告別式にも、お通夜ほどではないですが多くの方々が参列していました。

 

花輪の数は70基程あったと思います。会場内の壁を越えて受付側にも、飾られていました。太宰府天満宮宇佐神宮などの神社関係をはじめとして、本当に多種多様な方々からの花輪が並んでしました。

 

神葬祭は、福岡県神社庁朝倉支部が執り行いました。

恵蘇八幡宮の上原宮司他2名の神職と2名の巫女さんが、その役をお努めでした。

 

上原宮司の大祓奏上それに続くお言葉の中では、内藤宮司の生立ちから、神社や地域文化の再興に力を尽くしたことなど詳しくその功績と人柄をご紹介されていました。

 

弔辞を述べられた方々も、本当に内藤宮司を尊敬し、慕いそして突然の死を悔やまれていました。

 

私は、涙もろいこともありますが、皆様の弔辞・お孫さんの弔辞を聞きながら、嗚咽が止まらず、泣いていました。

 

告別式での最後の挨拶では、長男である尚武祢宜さんが次のようにお話をされていました。

 

倒れた父に「まだ早い、まだ聞きたいことがたくさんある」と叫んでいました。

しかし、父も祖父の突然の死により、そこから国学院大学で学び宮司の道を歩み出したことを思えば、私は2年間、父と一緒に仕事をする幸運に恵まれた。

今後も今までと変わらぬご支援をお願いしたい。

 

もうすでに内藤尚武祢宜は神社奉職の道を立派に歩み出しています。

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内藤尚武祢宜 令和5年 新嘗祭 太刀八幡宮において

 

言葉足らずではありますが、

 

今はただ、内藤主税宮司御霊のご平安をお祈りいたします。

🙏